保健室の先生に学んだこと |
清水 淳子 |
2019年2月 |
基本「ボーっと生きて」るシミズだが、中二のころは「白でないものは黒」「シマシマでないものは水玉」「大人になんてなりたくなーい」と生産性のないことばかり考えて頭の中をグルグルとフル回転させていた。
正確には中二ではなかったかもしれないが、クラスの男子が、ややまじめな発言をしたことがきっかけで、桶屋がもうかった、違う、シミズが軽くやさぐれた。
男子がどんな発言をしたのかは、すっかり忘れてしまった。たぶんたいした発言ではない。レベル1からレベル10まで重要度を分類するなら、レベル6「たこ焼きってウマいよな。」くらいの発言だ。なので、この男子を便宜上タコヤくんと呼ぶ。どこのクラスにもいる明るくてひょうきんな男子だ。タコヤくん、珍しく大真面目に力説したのだ。「外がカリカリで中がトロッとして、たこ焼きは最高だ!」
このタコヤくんの発言に対して、私の周囲3メートルくらいにいた女子は「タコヤのやつ、バッカじゃない?」とタコヤくんの訴えをスルーした。
心の中で「うんうん、たこ焼きおいしい。アタシも好き!」と思っていたシミズは、思いもよらない「バッカじゃない?」発言に虚を突かれ、喉元まで出ていた「そーだよね!」を飲み込んだ。
たこ焼きがうまいと思っていた自分の味覚は異常だったのか、または、たこ焼きは「うまい」「まずい」で論じられるような市民権が認められていないものだったのか、それとも、関東でたこ焼きを支持するのは大阪でジャイアンツを応援するくらいタブーなことだったのか、とグルグル考えたが、答えが見つからなかった。
今のシミズなら、答えが見つからないなら「分っかんねー」と独り言ちて缶ビールに手を伸ばすところだけれど、中二のシミズは答えを見つけることに躍起になり、グルグル頭の中がバターになってしまうんじゃないかと思われるほどむきになって考えてひとりヒートアップしていった。
今から思えば周囲3メートルの「バッカじゃない?」は、「たこ焼きごときに熱くなるなんて子供ねぇ。」とか「たこ焼きなんてお好み焼きを丸くしてタコ入れただけ。あたしは認めないわ。」とか、その程度の「バッカじゃない?」だったかもしれない。でも、そんなことまで考えが及ばない若気の至りシミズは、「タコヤ=バカ」→「たこ焼き好き=バカ」→「たこ焼きが好きな人間は生きている資格がない」と一直線に結論し、一瞬にして日本海溝の海底に置き去りにされた気分になったのだ。
ガヤガヤと騒がしい教室で、「太陽の光が届かない」「何の音もしない」「プランクトンすら生きられない(のか?)」海の底に勝手にワープしてしまったシミズは、独りぼっちだった。根性のないシミズはその「ぼっち」に耐えられず、保健室に逃げ込んだ。転んですり傷を作ったほか保健室に行ったことはなかったが、グルグル考えすぎて頭がエンストを起こしかけていたため、生まれて初めて「どこも悪くないのに保健室」というパターンをやったのがこのたこ焼き事変だ。
保健室の先生は、どこも悪くないけど保健室に逃げ込んできた生徒を温かく迎え入れ、一人で勝手に落ち込んでいるシミズの話をじっくり聞いてくれた。
タコヤくんの発言を覚えていないくらいなので、保健室の先生に何を話したか、当然全く覚えていない。たぶんこんな感じだ。
「タコヤくんは『たこ焼きうまいよな』と言った。」
「私もたこ焼きはうまいと思う。」
「なのにブタ玉ちゃん(便宜上ブタ玉さんと呼ぶ)は『バッカじゃない』と切り捨てて、ほかのみんなも同調している。」
「たこ焼きをバカにするクラスメイトとはもう一緒にやっていけない。」
書いていて本当に恥ずかしい。自分がこんな話を大真面目に聞かされたら、これは何かの罠じゃないか、「笑わずに最後まで話が聞けたら3000点」とかはらたいらさんに誰かが賭けているんじゃないか、と隠しカメラを探すところだ。
しかし、保健室の先生、吹き出しもせずムダに長い話をじっと聞いてくれた。今の私から見れば頼りなさげな若いお嬢さんが、笑いもせず、少なくとも表情は真剣に、じっと聞いてくれたのだ。今の私よりよほど人間ができているじゃないか。すばらしい!
そして、先生は最後に静かに言った。
「まぁ…人それぞれだからね。」
バッサリ。袈裟懸けに一刀両断。
「人それぞれ」といって思い出すのは、5〜6人でファミレスに入って全員違うランチを注文したときの店員さんのあきれた顔くらいだが、この時の「人それぞれ」は重みが違う。日本海溝の一番の海底からゴボゴボ気泡に乗せて届けた恨み節への一撃だ。有史「人それぞれ」という言葉がこれほどの破壊力を持った例を他に知らない。
グルグル考えた挙句日本海溝の海底で窒息しかかっていたシミズは、「何じゃそりゃ?」なひとことで一気に視界が開けた気がした。「みんなたこ焼きは好きでしょう」「たこ焼きを嫌うのは人として間違っている」くらいに思い込んでいたシミズのほうこそが間違っていたのだ。
タコヤくんがたこ焼き好きなのは結構、ブタ玉ちゃんがたこ焼き嫌いなのも結構、もしブタ玉ちゃんがたこ焼き好きなシミズが嫌いだとしても、非常につらいことではあるが、それも結構なのだ。
「人それぞれ」 これこそ憲法13条の基本精神といえる。
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
タコヤくんもブタ玉ちゃんもシミズも、みんな大事にしなければならない個人なのだ。だからタコヤくんの「好き」もブタ玉ちゃんの「好き」もシミズの「好き」も、大事に扱わなければならないのだ。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、それが誰かの権利の邪魔になる場合はちょっと遠慮しろという話だけれど、そうでもないなら自由にしましょう、というのが憲法さんの言うところ。ひとりひとり、趣味志向も考え方も違って、それでいいのだ。バカボンボン♪お互い尊重すべきなのだ。
こうして中二シミズはタコヤくんとブタ玉ちゃんと保健室の先生から憲法13条の精神を学んだ。
柔和な笑みを浮かべる保健室の先生の一言は遠洋漁業の底引き網並みの威力を発揮し、日本海溝の海底から一気に海面に引き上げられ、何事もなかったように教室に戻った。こうしてシミズはたこ焼き事変で一瞬たいそうやさぐれたものの、あっという間に復活し、人知れず次のグルグルにいそしむこととなったのであった。
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