弁護士会のある「場所」・今昔 |
清水 淳子 |
2006年8月 |
国立公文書館という国の古い文書を保管する施設のホームページで、江戸初期の江戸城近辺の地図を見つけた。
oogleEarthでつい自分の家を探してしまうように、こういうときは自分の身近な場所を探したくなる。
デジタル公開されている「正保年中江戸地図」で探したのは裁判所近辺。東西南北も縮尺もビミョーだし、あらぬところにお堀があるため確信はもてないが、以下「たぶん」のお話。
裁判所の場所には「土方河内」とある。陸奥窪田藩主のお屋敷だったらしい。旧法務局や法務省のあたりは「上杉弾正」。川中島の上杉謙信その人ではないけれど、孫かひ孫くらいの人物が当主だったのではなかろうか。
そして弁護士会館と思しき場所には「浅野内匠」。なんと、忠臣蔵の赤穂藩主のお屋敷がここにあったらしい。とはいえ1650年ころの地図なので、吉良上野介に切りかかった浅野内匠頭と後々呼ばれた長矩は生まれてもおらず、おそらくお祖父ちゃんの初代浅野長直がいたのだと思われる。1701年にお取り潰しなのでここに「浅野内匠」のお屋敷があったのは50年そこそこ、その名前が残る地図を発見したのだから、ちょっとめっけもんのような気分であった。
300年後の現在、弁護士会は共謀罪の創設に反対したり、被疑者取調べの可視化を求めたり、国民の権利を守るため行政・国会にうるさく噛みついている存在だ。忠臣蔵と弁護士会を一緒にするつもりはないし、吉良上野介と共謀罪を推進する与党議員を一緒にするつもりも毛頭ないが、弁護士会のある「場所」が時代の跳ねっかえりを呼ぶ土地なのかもと思うと少々愉快である。 |