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コラム・弁護士

 
   

「単独親権」と憲法

後藤 富士子

2022年8月

弁護士 ・ 後藤 富士子

1.「共同親権」の由来と「単独親権」

戦前の家父長的家制度が憲法24条によって否定され、親権制度も父優先の単独親権制は廃止された。それに代わる親権制度が、現行民法818条の「父母の共同親権」原則である。
憲法24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と定める。注意すべきは、「夫婦の同権」と「夫婦の平等」が異なる点である。ここでは、夫婦間の「平等」よりむしろ、その前提にあるはずの、夫婦が相互にもつ同等の「権利」を定めている。すなわち、父母の共同親権は、憲法24条2項に立法の指針として謳われている「両性の本質的平等」に基づくというより、夫婦が相互にもつ父母としての「同等の権利」を定めた1項に由来する。
ところが、民法では、父母の共同親権は「婚姻中」だけのことであり、未婚や離婚の場合には絶対的に単独親権とされている(民法818条3項、819条)。「未婚」と「子の出生前の離婚」の場合には、原始的に母の単独親権とされ、父母の協議で父を親権者と定めることができる。これに対し、「離婚」の場合には、父母の「どちらか」を単独親権者と決めなければ離婚が成立しない。
しかし、婚姻によって父母の共同親権とされたものが、離婚によって絶対的に単独親権とされるのは論理的に飛躍している。とりわけ、共同親権が憲法24条1項の「夫婦の同等の権利」として保障されていることに照らすと、離婚によって絶対的に単独親権とされるのは違憲の疑いが濃厚である。

2.「離婚の自由」と単独親権制

また、憲法24条1項は、「両性の合意」のみを要件とする婚姻の自由を個人に保障するだけでなく、その消極面としての非婚・離婚の自由をも個人に保障する。さらに、婚姻を維持する自由も保障される。そして、それらの「自由」が個人に保障されるということは、国家による干渉を受けないということである。
ところが、戸籍制度の実務に照らし、単独親権者が決まらなければ離婚が成立しない。それは本末転倒の倒錯した法現象であるが、法的にみれば、「離婚の自由」を保障している憲法24条1項に違反する。

3.離婚訴訟の陳腐化

現行民法は、当事者の合意による離婚を原則型としており、協議離婚の場合、離婚原因は不問にされる。婚姻と同様に、当事者の合意があれば離婚できるのであり、破綻しているか否かは問題にならない。当事者間で協議が成立しない場合でも、いきなり訴訟ができるのではなく、調停前置主義が採用されて当事者の合意による離婚を促している。
ところが、近時は、離婚自体について当事者に異議がない場合でも、単独親権制のために親権争いが離婚訴訟になるケースが少なくない。しかるに、訴訟では、まず離婚原因の存否から始まる。民法770条1項は、「夫婦の一方は、左の場合に限り、離婚の訴を提起することができる。」として、離婚を望まない配偶者に離婚を強制するに足る離婚原因を限定している。しかしながら、離婚自体ではなく、単独親権者指定で合意ができないために訴訟になる場合、法定の離婚原因が存在するか否かに関する審理は陳腐化せざるを得ない。仮に離婚によって絶対的に単独親権になるのではなく、離婚成立前と同様に共同親権であれば、訴訟にならないはずである。

4.憲法と「子どもの権利条約」に則った法運用を

憲法24条は、家父長的家制度を法的に廃止させた点で革命的であった。しかし、当時、「両性の本質的平等」も「個人の尊厳」も理想的理念ではあっても、実体はなかった。
ところで、家父長的家制度の時代には、「家」として家族の自治が認められていた。それは、国家に迷惑をかけないための、「家」単位の自助だったのかもしれない。しかるに、家族の自治を営む主体である「家」が廃止された結果、家族の自治も必然的に消滅し、個人の集合体にすぎない家族は国家の直轄領になったのである。換言すると、「家長」が「国家」に交代し、パターナリズムは国家に引き継がれた。弱者である「おんな・こども」を、強者である「おとこ」が扶養すべきという規範が、司法の世界で延々と生き延びている。
一方、先進資本主義諸国では、20世紀末葉から「少子・高齢社会」が進行し、出生率の低下は大きな社会問題になった。しかるに、日本では、「子どもの権利条約」批准にもかかわらず、家族関係について国家のパターナリズムはむしろ強化されているようにさえ思われる。
このような、憲法24条や「子どもの権利条約」から超然とした、国家のパターナリズムに支配された家族法の運用は、日本社会を絶望的に閉塞させる。それを打開するためにこそ、憲法24条や「子どもの権利条約」に則して、未婚・離婚を問わず共同親権にパラダイム・シフトすることが決定的に重要である。そして、夫婦・父母が「両性の本質的平等」を体現する存在となり、子どもは「保護の対象」でなく「権利の主体」として「個人の尊厳」が守られる―そのような社会を実現する法解釈・運用がされるべきである。

 

 

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