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コラム・弁護士

 
   

韓国人遺族による靖国神社合祀絶止等請求事件

穂積剛

2024年10月


弁護士 ・ 穂積 剛

1.まともな最高裁判事 

最高裁判所には15人の判事が所属しており、その出身母体は概ね裁判官6人、弁護士4人、検察官2人、行政官2人、それに法学者1人とされている。

このうち弁護士枠は日弁連で推薦した候補者の中から選任されることになっているが、これが守られないこともこれまで何度かあった。

結局は、保守的(体制迎合的)な司法体制を維持することが最優先されて、最高裁判事が選ばれているのが実態となっているのである。

 

現在の弁護士枠からの判事4人は全員が、東京三弁護士会の中で最も保守的とされる「第一東京弁護士会」出身であり、しかも主として企業法務系の仕事を扱う大事務所所属の経歴者ばかりになっている。そのため人権意識が希薄なのだろう、裁判官としてまともな判断をすることのできる人物は現在ほとんどいない。

 

現在の最高裁において、最高裁判事としての報酬(年額約2300万円)を受け取るのにふさわしい仕事をしていると評価しうるのは、法学者出身の宇賀克也判事と、検察官出身の三浦守判事の二人だけである。

宇賀克也判事は第三小法廷、三浦守判事は第二小法廷に在籍している。

それ以外の連中は、率直に言って「最高裁判所判事」の名にまるで値しない。

 

その三浦守判事が、今年の1月17日に気迫溢れる反対意見を書いた。

それが、韓国人遺族による靖国神社合祀絶止等請求事件の上告審判決だ。この事件でこの反対意見を書けるというのは画期的だ。

裁判例結果詳細

 

2.事件の概要  

この事案は、旧日本軍に所属して戦没した韓国人被害者について、戦後になって国が提供した戦没者名簿をもとに靖国神社に合祀されていたことを遺族が知って、これにより平穏な敬愛追慕の情を侵害されたとして、国に対し損害賠償等を求めていた事件である。

この戦没者は、1959年10月より前の時点ですでに靖国神社に合祀されていたが、遺族がこれを知ったのは2010年になってからだったようだ。遺族が日本国を被告に提訴したのは、そのすぐ後の2013年10月のことだった。

 

周知のように靖国神社は、戦前には別格官幣社とされ、陸軍省・海軍省の所管に属する国家が管理する神社であった。これは「日本国家」すなわち天皇のために死んだ者を祭神として祀る宗教施設であり、天皇のために死ぬことを「顕彰」することを目的とした施設であった。

そのような施設の「祭神」とされることに、日本による植民地支配に起因して望んでもいないのに「皇軍」の兵士として動員され、結果的に命を落とすに至った朝鮮出身の戦没者が心底から求めていたはずがない。むしろ、朝鮮人であるにも関わらず創氏改名まで強制されていた被害者たちにとって、その日本名で神として祀られることなど、到底受け入れがたい屈辱的な措置だったことが容易に想像できる。

 

そして韓国国民である遺族たちにとっても、たとえば韓国の憲法に規定された国家理念である「3・1独立運動」が、日本の植民地支配による抵抗運動であったことを考えれば、自らの大切な親族であった犠牲者が、「天皇のために死ぬ」ことを顕彰する靖国神社に「神」として祀られている現状を座視することなど、とてもできなかっただろう。

こうして、韓国人の遺族によるこの訴訟が提起されたものだった。

 

3.殉職自衛官の合祀違憲訴訟最高裁判決 

しかし最高裁は、1988年6月の「殉職自衛官護国神社合祀違憲訴訟」において、亡くなった自衛官を遺族の許可なく護国神社が勝手に合祀したとしても、それは宗教団体側の信教の自由の範囲内のことであって、そのことで差止請求が認められたり、賠償責任を負わされたりするものではないと判示していた。要するに、護国神社や靖国神社が勝手に戦争犠牲者を神としてあがめ奉って信仰したとしても、敬愛追慕の情を根拠として遺族がそれを止めさせたり、慰謝料を請求したりすることはできないというのである。

 

しかしこの判示自体から、著しい疑問があると言わねばならない。

たとえば統一教会やオウム真理教が、何の関係もない死亡者を勝手に神にして信仰し始めたと仮定した場合に、その遺族の訴えに対して、果たして現在の裁判所が同じ判断をするだろうか。統一教会は、亡くなった安倍晋三を始めとする自民党極右議員に食い込んで、長期にわたって数多くの悲惨な犠牲者を生み出してきた問題団体とされており、そのような団体から神として祭祀の対象とされることについて、遺族が受忍しなければならないとする判示がなされるとはおよそ想定しがたい。

しかしこのような統一教会の問題性は、朝鮮に対する植民地支配の重大性や、中国に対する侵略とその結果としての太平洋戦争において、数百万人・数千万人規模の犠牲者を生み出すことに加担してきた靖国神社の犯罪性に比べれば、格段に規模が異なるというべきだろう。だとすれば、この最高裁判決の論理が本件にそのまま妥当するとはやはり考え難い。

 

もっともこれは最高裁の大法廷判決であり、そのことの意義は重い。

今回の韓国人による合祀絶止等請求事件は、これに真っ向から立ち向かう訴訟であった。

 

4.二つの争点と多数意見 

今回のこの判決での第二小法廷(裁判長岡村和美(行政官)、草野耕一(第一東京弁護士会)、尾島明(裁判官))の多数意見は、靖国神社による戦没者の合祀が1959年のことだった一方で、本件の提訴が2013年のことだったから、民法724条の定める20年の除斥期間の経過により、権利が消滅したとして国に対する賠償請求を認めないというものだった。

これに対して三浦守判事一人が、敢然と反対意見を表明したのである。

 

ここでの争点は大きく二つある。

一つは、そもそも国の賠償責任を認めるべきかどうかだ。こうした合祀に際しては、まず国が各都道府県に戦没者の情報を提供するよう指示し、これに基づいて靖国神社による合祀が行われている。そのことが憲法20条3項の政教分離原則に違反しているかどうかが問題となる。

また仮に国に憲法違反の行為があったとしても、前述した自衛官合祀訴訟での大法廷判決を前提に、遺族の敬愛追慕の情を侵害したとして賠償責任を認められるかどうかも問題となる。

もう一つの争点が、前述した除斥期間の問題である。20年という時間の経過によって、問答無用で権利が消滅するかがここでは問題となる。

 

こうした問題に対して三浦反対意見は、基本的な事実とそれに対する評価を積み重ねていってこれを論述していき、結論としては本件を原審に差し戻し、高裁に審理をやり直させるべきだと判示した。

その根拠は、次のとおりであった。

 

5.政教分離原則違反と賠償請求の成立(争点1) 

第一の争点について三浦反対意見は、靖国神社と国とのあいだで「約30年もの長期にわたり、都道府県の協力を得て、被上告人(国)の経費負担の下で組織的に、靖國神社に対し、合祀の決定に不可欠な情報を調査して提供」しつづけ、これにより「100万人を超える膨大な数の戦没者の合祀が行われた」という事実からすれば、これは他の一般的な団体に対する通常の調査回答という次元の協力関係にとどまるものと評価することはできず、憲法20条3項に定める政教分離原則に抵触している可能性を否定できないとしている。

 

また、靖国神社という宗教団体が朝鮮半島出身の戦没者を合祀していることについて、これが遺族の敬愛追慕の情を違法に侵害することになって賠償責任を負うべきかとの問題に関して、靖国神社と遺族という私人間の関係で憲法規範が適用されることはないとしても、本件で問題となっているのは憲法上政教分離の義務を負っている日本国の行為であって、国が憲法20条3項に違反したと評価される事実があるのであれば、そのような国が「私人の信教の自由を理由として」「損害賠償責任を免れるのは不合理である」と三浦判事は指摘している。

すなわち、憲法に拘束され20条3項の制限を受けている国家が憲法違反の違法行為を侵し、それによって戦没者に対する遺族の敬愛追慕の情が侵害されたと評価しうるのなら、少なくとも憲法違反をした国は賠償責任を負うべきだとの判示をしたものである。

 

6.植民地支配と歴史認識からの視座(争点1) 

その上で三浦反対意見は、今回の戦没者が「戦前に我が国が朝鮮を統治したことにより、第二次世界大戦において、我が国の軍隊の下で行動したために戦死等をしたものであるが、本件情報提供行為に基づき、創氏改名による日本式の氏名によって、本件各合祀行為がされ」たことを指摘したうえで、「遺族が了承していない上、我が国と朝鮮との歴史的な関係、本件各被合祀者が戦死等をするに至った経緯、戦前における靖國神社の役割等に鑑みると」、遺族らが「本件各被合祀者を敬愛追慕する上で平穏な精神生活を維持することが妨げられたという主張には相応の理由がある」と判示している(ただし、ここでの「戦前における靖國神社の役割等」が何を指すのかについて、三浦反対意見は具体的に指摘していない)。

 

実際には日本による植民地統治によって、望んでもいないのに日本から「創氏改名による日本式の氏名」を押し付けられ、日本軍の兵士として一方的に徴用されて、「天皇の軍隊」として侵略行為に加担させられた挙げ句に、戦死させられてしまった戦没者たちを、死んでなお「天皇のために死ぬこと」を正当化する靖国神社ために、「日本式の氏名」のまま利用され続けている状態というのが、韓国に残された遺族にとって耐えがたい苦悩と屈辱を与えるものであることは想像に難くない。これはあまりにも遺族の心情をズタズタに傷つけるやり方である。

そのことに正面から思いを馳せたうえで、上記のような判示に至った三浦反対意見は敬服に値する。

 

7.合祀行為と不可分一体の国による合祀主導行為(争点2) 

次に第二の除斥期間の争点について、三浦反対意見は次のように指摘する。

まず三浦判事は、20年の除斥期間の規定といえどもそれによって権利が消滅したとすることが、「著しく正義・公平の理念に反し、到底容認することができない場合には、裁判所は、除斥期間の主張が信義則に反し又は権利の濫用として許されないと判断することができる」とする2024年7月3日付大法廷判決の判示に依拠して、本件での除斥期間排除の可能性について検討した。

 

そして三浦反対意見は靖国神社による合祀行為について、戦没者を祭神として祀り続ける祭祀がその宗教的行為の核心であるから、その合祀が継続されている限り、遺族の敬愛追慕の情の侵害状態が継続されていくことを重視する。そしてこのような戦没者の合祀という継続状態をもたらしたのは、ほかならぬ国が「靖國神社との間で、合祀基準に該当する全ての戦没者を合祀するという共通の目的をもって、合祀基準の決定及び解釈等について主導的、中心的な役割を担い、合祀基準及び被合祀者の決定を靖國神社と一体として行っていたもの」だから、祭祀自体は靖国神社が単体で行うもので国は直接関与していないとしても、「実質的にみて、両者の行為の全体が、上記目的の実現のため不可分一体の関係にあり、政府の政策による事業として進められるものと評価することができる」としている。

 

8.不法行為の継続と精神的苦痛の発生(争点2) 

つまり合祀自体は靖国神社による単独の行為だが、実際にはこれを主導して中心的な役割を担ってきたのは国の方だから、靖国神社による合祀行為は実質的には国の行為と不可分一体だと評価することができ、この不可分一体の行為が継続されることで遺族の精神的苦痛が発生していることからすれば、「上告人らが本件各被合祀者を敬愛追慕する上で平穏な精神生活を維持する人格的利益は、現在も、本件情報提供行為と不可分一体の行為により侵害が継続し損害が生じているとみる余地がある」と判示している。

靖国神社による合祀行為と不可分一体の関係にある国の政教分離原則違反の不法行為は、現在も継続されていると評価することが可能だというのである。

 

また、遺族らが合祀の事実を知ったのは2010年になってからで、提訴はそのたった3年後の2013年であった。合祀の事実を知らなかった遺族らに敬愛追慕の情の侵害という損害は発生しておらず、したがって不法行為はまだ成立していない。すなわち、遺族の「人格的利益は、その平穏な精神生活を維持することが妨げられることによって侵害され損害が生ずるものと考えられ」、「本件各合祀行為等を認識して初めて法益が侵害され損害が生ずる」から、「法益の侵害と損害の発生を待たずに除斥期間の進行を認めることは、被害者にとって著しく酷であり、不合理である」と指摘した。

これまた当然のことである。合祀の事実を知らないで、20年の期間の経過によって権利が先に消滅したとするなど、完全に論理が破綻している。

 

9.国の予見可能性と除斥期間の趣旨(争点2) 

逆にこれを加害をした国の観点からいえば、「相当の期間が経過した後に被害者が現れて、損害賠償の請求を受けることを予期すべきであると考えられる」とも三浦判事は指摘している。被害者に隠れて違法行為をしていた以上、発覚して責任追及を受けるまでに長時間が経過してしまったとしても、それはむしろ加害者側の問題であって、そのように時間がかかることも国は予期すべきであったはずだという論理である。あたかも、海外に逃亡していれば時効期間の経過は中断するとされているのと同じであり、これも極めて合理的な判断である。

 

さらに三浦反対意見では、そもそも民法724条の除斥期間の規定が、「不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定」を目的とした規定であるが、「現在も、本件情報提供行為と不可分一体の行為により侵害が継続し損害が生じている」こと、そして国が靖国神社に戦没者の情報提供を30年も続けてきたことは記録上もすでに明らかになっていることなどから、「加害行為の性質及び関係証拠の状況に照らし、時の経過とともに証拠の散逸等によって当該行為の内容や違法性の有無等についての加害者側の立証活動が困難になるともいえない」と指摘して、除斥期間の規定の趣旨からも、本件では法律関係の速やかな確定という必要性の低いことを指摘している。

 

10.三浦反対意見の結論 

最終的に三浦反対意見は、除斥期間の適用について次のようにまとめている。

 

すなわち、「被上告人(国)は、靖國神社における合祀に対する直接的な協力という政教分離制度の中心的な問題において憲法に違反し、約30年もの長期にわたり、政府の政策として、憲法上保護される上記人格的利益を有する者に対し、個人の尊厳及び幸福追求に深く関わる犠牲を求める施策を実施してきた」のであり、「被上告人は、我が国と朝鮮との歴史的な関係等に鑑み、大韓民国等には上告人らのように合祀を望まない遺族がいることや、その合祀により、上記人格的利益の侵害が生じ得るとともに、合祀が継続する限り、その侵害も継続して損害が生じ得ることを十分に想定しながら、合祀を推進した」。

他方で遺族らは、「これを認識しない時期において、被上告人の本件情報提供行為の違法を主張して損害賠償請求権を行使することは不可能であり、被上告人としても、相当の期間が経過した後に損害賠償の請求を受けることを予期すべき」状況であった。

それゆえに三浦反対意見は、「本件訴えが除斥期間の経過後に提起されたということの一事をもって、上告人らの請求に係る損害賠償請求権が消滅したものとして被上告人がその責任を免れることは、著しく正義・公平の理念」に反すると評価されることに理由があるものと結論づけている。

 

こうしたことから三浦反対意見は、本件事案は十分に請求が認容される余地のある紛争であるとして、本件での事実経過やその評価についてさらに審理を尽くさせるため、本件を東京高等裁判所に差し戻すのが相当であると判示した。

 

11.三浦反対意見に対する評価 

戦前において日本が行った朝鮮に対する植民地支配の歴史を踏まえたうえで、創氏改名により日本式の氏名を押し付けられ、その氏名で勝手に合祀がされている事実、のみならず「戦前における靖國神社の役割等」まで踏み込んで、三浦反対意見が記載されていることなどは刮目すべき点である。そして、これらの実態を直視するなら、これが遺族にとっては受忍限度を超えた敬愛追慕の情の侵害であることを正しく認定している。

 

法律論的にも、遺族からの単なる靖国神社に対する請求であれば私人間の問題として違法評価のハードルが高くなるが、本件の場合には憲法20条3項の政教分離原則に反することで、遺族の平穏な人間としての精神生活の維持、すなわち個人の尊厳及び幸福追及権という法的利益が侵害されたことを認定するという合理的な解釈がなされている。

さらに本件における国家と宗教との関わりの度合が、靖国神社による合祀という中心的な宗教的行為に関わるものであり、これを実現させるために当時の厚生省が靖国神社と21回もの打ち合わせを重ね、これに基づいて30年にもわたり100万人もの詳細な戦没者情報を、都道府県から靖国神社に提供させていた強度の癒着についても正面から指摘している。このように国が憲法20条3項に違反することで遺族の敬愛追慕の情という法的利益を侵害している以上、私人である靖国神社の信教の自由を国が持ち出して責任を免れることは不合理だとする三浦反対意見は、極めて合理的かつ論理的な判示だと評価できる。

 

除斥期間の適用の可否についても、国による情報提供行為と不可分一体と言うべき靖国神社の合祀による遺族の法益侵害状態が、現在まで継続して行われていると解する余地のあること、遺族が合祀を知ったのが2010年で提訴がそのわずか3年後であること、遺族が合祀の事実を知るまで時間がかかる可能性のあることを国は予期できたはずであること、さらに法律関係の速やかな確定という要素を本件では考慮すべき必要性が低いことまで配慮して、三浦反対意見は除斥期間適用排除の可能性が高いことを指摘している。

 

12.多数意見と尾島補足意見 

このように三浦反対意見は、事実と論理に則した極めて説得力に溢れた内容となっている。

 

これに対して多数意見では、合祀がなされた1959年10月からすでに20年の除斥期間が経過しているからという、実に説得力を欠いた簡単な判示しかなされていない。

けれども、これではあまりにみっともないと思ったのだろう、裁判官出身の尾島明による補足意見が出されている。

 

そこにおいて尾島意見は、「国があえて政教分離規定に反する行為を行って個人の敬虔感情を傷つけるようなことはしないであろうと私人が期待するのは合理的」な側面があると記載し、20条3項違反による国の賠償責任という三浦反対意見の論理については認めざるを得なくなっている。

ところが尾島意見は続けて、「国が私人の合理的期待に反することをしたことにより被ることが想定される精神的損害の程度は、当該私人の宗教的思いの深さに応じて異なるであろうが、それでも賠償責任を認め得る損害という観点からは個人の生命や身体に対する重大な侵害に比較すると相当程度軽度なものであるといわざるを得ない」とする。

 

13.尾島意見の非論理性 

この記述からすると尾島意見は、国による政教分離原則違反の行為によって慰謝料が認められるためには、「個人の生命や身体に対する重大な侵害」に比肩するような重度な侵害でなければならないと判断していることになる。しかし、どうしてそのように重度な侵害でない限り、被害者の精神的苦痛に対する慰謝が認められないことになるのか、その根拠が皆目不明である。

むしろ三浦反対意見にあるとおり、国家が憲法20条3項という重大な政教分離原則に明示的に違反した事実が認められるならば、それによって生じた被害者の損害については積極的に救済していくべきという方が物事の道理だと解すべきであろう。三浦反対意見の指摘するように、この場合でも賠償責任を負うのは政教分離の義務を負う国だけなのであり、靖国神社に対する賠償責任が認められるわけではないのだから、靖国神社の「信教の自由を不当に制限するものではない」と言えるからである。 このように尾島意見は、三浦反対意見の指摘に対する反論として成り立っていない。

 

ちなみに除斥期間の適用に関しては、尾島意見は特に理由も付さず「除斥期間の経過による消滅が著しく正義・公平の理念」に反するとは言えないとして、遺族らの主張を排斥しているだけとなっている。遺族が知ったときにはすでに50年以上もの期間が経過していたというのに、その30年も前に権利が消滅していたと断定することのどこが、「著しく正義・公平の理念に反するとは言えない」ことになるのか、この思考経路は理解不能である。

 

14.二人の最高裁判事の任期 

このように見てくれば、多数意見及び尾島意見の異常性こそが明らかだということができる。

最高裁判所の裁判官として、事実と合理的な法律解釈に基づいて妥当な判断をしているのは、第二小法廷では三浦守判事一人だけだったと断ぜざるを得ない。

一貫して検察官という国家の機関として国家の主張を代弁する仕事に携わってきた人物が、ここまでまっとうな判断ができていることに深い尊崇の念を覚える。

他方で、先日検事総長に就任した畝本直美が袴田事件の控訴断念に際して発した談話、この期に及んで袴田巖さんを犯人視し続けるような内容の、何と恥ずかしいことか。

同じ検察組織においても、天と地ほどに法律家としての誠実さに差異があるものと指摘せざるを得ないだろう。

 

現在の最高裁において、たった二人しかいないまともな裁判官の一人である宇賀克也判事は、今年の7月に定年退官となる。

今回の三浦守判事も、来年の10月には退官予定となっている。

果たして、この二人に比肩するようなすぐれた(まともな)裁判官が選任されることを期待できるだろうか。今の最高裁を見ていると、残念ながら極めて悲観的に受けとめざるを得ない。

(敬称略)

 

 

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