「婚姻費用分担」と「子の監護」について
―父母の離婚前に適用される法律の矛盾 |
後藤 富士子 |
2025年3月 |

1.「子の連れ去り別居」で勃発する法律問題
ある日突然、妻が子を連れて別居する。妻代理人弁護士から夫に通知が届き、夫を相手方とする「離婚」=「夫婦関係調整」調停と「婚姻費用分担」調停が申し立てられる。そこで、夫が相談に来て、私が受任することになる。一方、子どもと会えなくなってしまい、こちらから「面会交流」調停を申し立てる。
夫婦の合意による離婚は、協議離婚、調停離婚、和解離婚があるが、協議離婚を除き裁判所の手続の中で離婚が合意される。これに対し、夫婦の合意がない場合、被告となる配偶者に判決で離婚を強制する。したがって、いきなり離婚訴訟を提起することはできず、調停前置主義が採用されているし、調停不成立になったからといって訴訟に移行することはない。裁判離婚の場合、民法770条に離婚が認容される「離婚原因」が定められているし、三審制である。したがって、別居から離婚成立まで年月を要し、別居後7年経過していたケースもある。
一方、「婚姻費用分担」や「面会交流」は、家事審判事項であり、調停合意が成立しなければ審判に移行する。家事審判は、訴訟と異なり、非公開でされる裁判官の職権主義手続である。そのせいか、審判の結論に「法の支配」が欠如していることに悩まされ続けてきた。
2.婚姻費用「標準算定方式」は、裁判官の立法
民法760条は、「夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担する。」と定めている。
ところが、家事実務で用いられるのは「標準算定方式」(算定表)であり、これは夫婦の収入だけで算定される。すなわち、「収入」以外の「資産」「その他一切の事情」は、婚姻費用分担の算定要素から捨象される。
このことは、恐るべきことである。民法760条は、憲法41条で「国の唯一の立法機関」とされている国会が制定したものである。それを反故にして、裁判官が定立した「標準算定方式」が取って代わっている。これは、裁判官による立法であり、立憲主義の柱である権力分立原則を逸脱している。同時に、裏を返せば、裁判官が法律に拘束されるという憲法76条3項にも違反する。
ところで、「婚姻費用分担」の始期は婚姻時であるが、別居前に夫婦間で「婚姻費用分担」について協議し、具体的分担方法を定めることはまれである。むしろ、「婚姻費用分担」が法的に問題になるのは、別居してからである。それゆえに、実務で婚姻費用分担の始期は、「別居時」「請求時」などとされている。そのため、「資産」「その他一切の事情」が捨象されることによって、夫婦間の平等や公平が失われる。
例えば、別居前は、妻の収入は妻の固有財産として婚姻費用を分担せず貯め込み、さらに夫の収入で婚姻費用を賄ったうえ余剰があれば将来に備えて妻が管理する口座に貯め込む。そうすると、妻名義の預金資産は膨張するのに対し、夫名義の預金資産は乏しく、次の給与が支給されるまで困窮する。しかるに、「資産」は捨象される。
さらに酷いことに、「標準算定方式」が唯一の「法律」になっているために、審判に対して即時抗告しても殆ど顧みられず、「抗告棄却」決定がされる。そして、最高裁へ特別抗告しても執行停止の効力はなく、「抗告棄却」決定により第1審審判が確定する。そこで、妻代理人は、夫の給与差押の強制執行に及ぶのである。
3.「婚姻費用」と「養育費」
民法760条は、婚姻共同生活を維持するための費用につき、「夫婦が分担する」と定めている。そして、実務上、離婚前の「夫婦」間では、仮に別居しても、養育費ではなく、婚姻費用分担義務が課されることに争いはない。
一方、「養育費」は、民法766条に定められた、夫婦が離婚した後の「子の監護に要する費用の分担」であり、離婚成立前に法的根拠として適用されることは実務上皆無である。
すなわち、子の監護に要する費用について、父母の離婚前後で適用される法律が異なっている。それは、離婚後単独親権制(民法819条)の帰結である。
4.子の監護に関する問題の準拠法
母が子を連れ去り別居に至ったが、未だ父母の離婚は成立していない。
しかるに、実務では、父母の離婚成立前の段階でも、民法766条の類推適用により、面会交流調停・審判が行われる。
しかしながら、子の監護に要する費用について父母の離婚前は民法766条の適用がされないことに照らすと、父母の離婚前の段階で「面会交流その他子の監護に必要な事項」について民法766条が適用されることは、法体系上矛盾がある。
むしろ、民法818条3項は「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う」と定めていることに照らすと、父母の離婚前は民法766条の類推適用ではなく、民法818条3項に基づき、父母の共同監護態勢について調停・審判がされるべきである。
5.民法820条の「白地」性
親権の効力として、民法820条は「親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」と定めているが、離婚前の共同親権者である父母間の、子に対する「監護」「教育」については何の定めもない。婚姻同居中でさえ父母で意見が異なることはよくあるが、協議が調わないときに家庭裁判所の審判を求めることは想定されていない。これは、婚姻費用分担についても同じで、同居中に夫婦間で婚姻費用分担について協議が調わないときに家庭裁判所の審判がされた例を寡聞にして知らない。どちらも別居して問題になるのであり、本来の正常な法適用可能時の準則として「白地」である。
それでは、民法766条は「白地」ではないのかと問うても、「白地」である。婚姻中に「白地」なのだから、離婚後に「白地」でなくなることはあり得ない。ただ、共同親権制から単独親権制に変わるだけである。すなわち、単独親権制では、協議の必要がないのであり、換言すると「独裁」制ということである。
6.父母の共同「子育て」
離婚が成立する前の段階で夫婦が別居した場合、子と父母の関係を表す語彙は、社会学的実態に即すれば、「同居親」「別居親」である。しかるに、家事司法の実務ではこの語彙は使用されず、「監護親」「非監護親」という法律用語が使用される。離婚が成立していない段階では、法律上はどちらも親権者であることに照らせば、なぜ親権者である別居親が「非監護親」になるのか、論理的に説明できない。さらに、「監護親」と「非監護親」との間で「子の監護に関する事項」を取り決めるとなると、対等な当事者間の交渉ではないので、「監護親」の許容範囲内で処理されがちである。
そこで、「親権」「監護権」という語彙に代わり、「子育て」を表す語彙を探すと、アメリカで社会学や教育学の文献あるいは大衆向けの書物で用いられている「ペアレンティング(parentig)」が最適である。この意味は、「子育て」「育児」「親業」である(ランダムハウス英和辞典参照)。ちなみに、『離婚後の共同子育て』(エリザベス・セイアー&ジェフリー・ツィンマーマン著・青木聡訳)の原題は「The Co-Parentig Survival Guide」である。また、『離婚と子ども』の著者である棚瀬一代教授(当時)も「ペアレンティング」という語を用いているし、離婚後の「共同子育て」に関し「パラレル・ペアレンティング」=「並行的親業」を提唱していた。
そうすると、父母の別居により監護問題が発生したとしても、父母の離婚前は共同親権であることに鑑み、具体的な共同養育プランが調停・審判で策定されるべきである。 |