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コラム・弁護士

 
   

「子の最善の利益」を求めて
―「離婚」と「監護」の手続の分離

後藤 富士子

2012年11月

弁護士 ・ 後藤 富士子

1.法律用語の欺瞞―「親権」論争の不毛

「親権」という言葉を使うと、問題になっている「事象」における法的評価が、なぜか訳が分からなくさせられる。離婚前の父母の一方が他方の同意なしに子どもを「奪取」して姿を消しても、「親権侵害ではない」とか「違法ではない」というのが、司法・法曹界の通説である。私も司法界に身を置く法曹の1人であるが、この「通説」は、どんなに思考をめぐらせても訳が分からない。

そこで、「親権」という垢まみれの用語を使うのをやめて、問題とされる「事象」を普通の市民の言葉にすると「子育て」ではないか。実際、「子育て」が、親の権利であり、かつ責任であることに異論は見られない。「親権」も、私に言わせれば同じなのだが、「親権は親の権利ではなく、子どもに対する義務である」とか、「面会交流は親の権利ではなく、子どもの権利である」などという議論が横行しているから、こういう議論を一掃するには「親権」という言葉を使わないのが効果的である。

「子育て」が「親の権利」だというのは、子育てすることによって親自身が発達成長できるからである。ボーボワールの「女に生まれるのではない。女になるのだ」という名言に准えれば、「子が生まれて生物学的親になっても、子育てしなければ人間の親にはなれない」のである。したがって、子育てから親が疎外されることが、どんなに人倫に悖るか理解できるだろうし、疎外された親に対する人権侵害であることは疑う余地がない。

一方、子どもの側から見ると、片方の親との交流を断たれることは「片親疎外」という現象になる。そして、「片親疎外」は、「児童虐待」として認識されるべきものである。

2.「片親疎外」を引き起こす状況

『離婚毒ー片親疎外という児童虐待』(リチャードA.ウォーシャック著、青木聡訳)によれば、

「片親疎外」を引き起こす状況は、カルト宗教が洗脳を試みるときと同じで、隔離心理的依存恐怖である。それらは、有害なメッセージが大切な思い出を消し去る危険性を高めるための、土壌かつ栄養となる。

あらゆる洗脳の前提条件は、対象者を支援者からある程度引き離すことである。子どもは隔離によって離婚毒の影響を受けやすくなる。その理由は、隔離が依存を強め、また、現実に対する別の視点に触れる機会を妨げるからである。洗脳する親は、子どもと別居親やその親戚とのコミュニケーションを制限しようとする。最も過激な排除策略は、片方の親から子どもを隠すことで、アメリカ国内では毎年約20万人以上の子どもが、家族によって拉致されている。多くの場合、洗脳は誘拐から始まる。連れ去った親は、子どもが別居親によって身体的あるいは性的な虐待を受ける危険があると、大真面目に信じており、その危険性を訴えて認めてもらえないと、子どもを連れ去り、隠遁生活を送る。

隔離は、物理的な分離によって成し遂げられるが、洗脳には、象徴的かつ情緒的なつながりを破壊することも必要であり、そのプロセスは「除去」と呼ばれる。同居親は別居親を思い出させる物品を家の中から撤去し、別居親の話題は避けられ、子どもが別居親について肯定的に話すことに嫌悪感が示される。

さらに、恐怖は洗脳の基盤となる。隔離と同じように、恐怖は、悪口や罵詈雑言を吐き捨てる親に対する心理的依存を強めるのである。

そして、この状況の下で、子どもに親や祖父母の拒絶を強制するために用いられる最も典型的な策略が「名前ゲーム」である。とりわけ、子どもの名前を変更することは、片親疎外の事例では驚くほど頻繁に起きている。

このような病的な「片親疎外」は、ほとんどの心理的問題と同じように、即座に対応すると軽減しやすい。「引き離し」戦略に直面したときに積極的な対応をとることの重要性は、いくつかの研究で言及されている。洗脳された子どもに関する最も大規模な研究は、アメリカ法曹協会によって報告されているが、「裁判所が子どもと標的にされた親の交流を増やした約400事例の9割において(そのうち半数は、子どもが交流を強く拒否していたにもかかわらず)、子どもと標的にされた親の関係が好転し、さらに子どもの心理社会的な問題、学業成績の問題、身体症状の問題が、軽減ないし消失した」という(同書141〜142頁)。

3.司法・法曹の役割

前記した裁判所の対応からすると、アメリカの司法は、心理学等の科学と協働していることが判る。これに対し、日本では家裁調査官制度で自足的に賄おうとしており、かえって科学的研究成果を遮蔽する邪魔者になっているのではなかろうか。その点こそが、日本の家事司法の病理と思われる。したがって、家裁裁判官も調査官も、家裁が有するべき専門性や科学性を習得する努力をすべきである。とりわけ、「子どもの育ち」ということについて、一般教養レベルの知識さえもっていないのではないかという疑いを拭えない。たとえば、澤口俊之『幼児教育と脳』(文春新書)や柏木惠子『子どもが育つ条件―家族心理学から考える』(岩波新書)など、いまや教養となった専門的知見を提供しているのであり、家事事件における常識となれば、特段の法改正なしに飛躍的に実務が改善されると思われる。

また、代理人弁護士も、安直な実務マニュアルに従って事件処理をするだけで、「依頼者の利益」の名の下に「子どもの最善の利益」を踏みにじって憚らない。しかし、離婚という家族法の文脈では、依頼者の利益のみを追求するという「ハイアード・ガン」的な倫理基準を修正し、不必要な葛藤をエスカレートさせるのではなく葛藤を低減させるために、当事者間の協力や協働を促すことをその倫理基準に含めていくべきとのアメリカでの議論が参考になるので、以下に引用する(棚瀬一代『離婚と子ども―心理臨床家の視点から』128〜129頁、155頁)。

  1. 両親間の葛藤を減ずるための積極的な役割:両親間の長引く子どもの監護についての葛藤が子どもに与える否定的な影響について親に説明し、葛藤を減ずるために利用可能な資源(※日本には殆ど存在しない)について積極的に説明していく責任がある。
  2. できるだけ訴訟までいかずに解決することについて話し合うべきである。
  3. 原則としては、裁判所が行う調査に両親が協力するように後押しすべきである。
  4. 事件に関して、依頼者に偽りの期待をもたせないように現実的な評価を示すべきである。
  5. 早い段階で裁判所に介入してもらうことによって問題点を明らかにしたうえで(※日本では該当しそうもない)、裁判所外で紛争解決をするための利用可能な資源やプロセスに委託していくべきである。
  6. 子どもの最善の利益の視点を忘れない。
  7. 子どもの発達、児童虐待、DV、家族ダイナミックス、ADR、他の専門職の能力および地域の利用可能な資源等について知識をもち、訓練も受ける必要がある。
  8. 代理人は、子どもの監護に関して葛藤の高いケースを扱うための特殊な継続的な教育プログラムに参加する必要がある。また、ロー・スクールの家族法のカリキュラムにメンタル・ヘルスおよび紛争解決などの訓練も取り入れ、監護をめぐる高葛藤離婚家族における代理人の葛藤低減能力を向上させる必要がある。

この議論をみても、結局、日本の家事司法においてインフラが欠乏しているところに根本的問題があることは否めない。しかし、当面は現行制度を使うしかないのであるから、その中で工夫することを考えるべきである。その際、最も優先的に考慮されるべきことは「子の最善の利益」をどうやって実現するかということである。

4 「単独親権制」の桎梏―離婚と親権者指定の同時決着

アメリカでは、父母の離婚後も共同養育が原則である。そうすると、離婚時に単独 親権者を決める必要がなくなる。換言すると、離婚後単独親権制は、子に対する親の養育責任を宙に浮かせないために、離婚と親権者指定をリンクさせたのである。したがって、単独親権制を止めれば、そのリンクを切断すれば足りる。翻って、もともと民法では、「離婚」は離婚法、「親権」は親子法に規定されていて、離婚後の子の監護については離婚法という具合で、グロテスクなのだ。むしろ、単独親権制が必要とされた立法事実がなくなった今日では、「子の最善の利益」を実現するための桎梏になっているというほかない。

したがって、現行法の下でも、別居・離婚にかかわらず、父母の共同養育プランを策定することによって、「子の最善の利益」の実現を図ることは可能になるはずだ。「どちらの親が親権者として適格か」という排除的選択に血道をあげるのではなく、「父母がどのようにかかわっていけばよいのか」という協働的配分の問題となれば、離婚問題と切り離した形で家事調停・審判で解決していける。実際、離婚が訴訟手続であるのに対し、家事審判が非訟手続である意義は、そこにあるのだと改めて考えている。とはいえ、官僚司法制度の下における職権主義の非訟手続では、裁判官に決定権を委ねるであり、日本の実情からすると「解決」とは逆の方向になりかねない。それゆえに、親双方が「子の最善の利益」を実現するために「どのようにかかわっていけばよいのか」を、主体的に決めるべきであろう。それができない親に「離婚する権利」はないと弁えるべきである。

 

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