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コラム・弁護士

 
   

「共同親権」と「単独親権」の狭間で
――「共同監護」を創造する

後藤 富士子

2015年4月

弁護士 ・ 後藤 富士子

1.民法766条類推適用の限界

民法は、婚姻中は父母の共同親権とし、離婚後は単独親権(監護)とするが、婚姻が破綻している場合や、破綻していないまでも別居しているような場合について、何らの規定も置いていない。そのために、当然のことながら、家事審判の手続法には司法が介入する根拠規定がない。しかるに、父母間での子の監護をめぐる紛争は、その状態自体が「子の福祉」を損なうと考えられることから、離婚後の子の監護に関する事項について定めた民法766条を類推適用し、家事審判法9条1項乙類4号により「家庭裁判所は相当な処分を命じることができる」とする平成12年最高裁決定により、その後の実務が運用されてきた。「監護者指定」や「面会交流」も、ここでいう「相当な処分」である。

問題は、「子の引渡し」である。父母の離婚後であれば、「監護親」と「非監護親」との間の問題であるから、「監護者指定」の審判を要しない。そして、前記のように、婚姻中の父母間の「子の引渡し」も離婚後の単独監護を類推するなら、端的に「子の引渡し」についてのみ判断すればよいはずであり、「監護者指定」を宣言する必要はないことになる。しかるに、離婚前の父母間における「子の引渡し」について、「監護者指定」を媒介しないでされたものはないようである。それは、やはり「離婚後の単独親権」と「離婚前の共同親権」との実定法上の差異を無視できないからであろう。

しかるに、裁判官は、この実定法上の差異を無視して、「子の引渡し」を導き出すための法的根拠として「監護者指定」の審判をする。すなわち、「単独監護者指定」により、共同親権者から親権を剥奪するのである。しかも、それが「子の福祉」を口実にされるのだから、言語道断である。ちなみに、「子の福祉」の観点から、親権・監護権に何らかの制限を加える必要があるのであれば、親権喪失や親権停止によるべきである(民法834条、834条の2)。

また、「面会交流」の審判でも、同様である。裁判官が立論の最初にもってくるのは、「非監護親と子の面会交流は、子の福祉に反すると認められる特段の事情のない限り、子の福祉の観点からこれを実施することが望ましい。」という「命題」である。離婚前の共同親権者を「非監護親」と決めつける法的根拠はない。法的根拠を別にしても、この「命題」から明らかなのは、子を監護教育する親の権利(親権)は、裁判官が「子の福祉」を口実にして、いかようにでも制限できるという宣言である。「4か月に1回程度、妻が子らの写真を夫に交付する」という破廉恥な審判もある。4か月に1回程度子どもの写真を見せられて、何が「親子の交流」か。子どもは、父と接触を断たれて、どんな福祉を享受するというのか。このような審判は、子を連れ去られた父親の親権・監護権を剥奪しながら、裁判官が父親に「お恵み」を施しているにすぎない。

2. 「傲慢症候群」という人格障害

3月16日の朝日新聞に「傲慢学会」という研究会の記事が掲載されていた。トップが助言に耳を傾けず冷静な判断ができなくなって経営につまずく。これを「傲慢症候群」と名づけ、提唱しているのは神経科医で英政治家のデービット・オーエン元外相・厚生相(76歳)。病気ではないが、「権力の座に長くいると性格が変わる人格障害の一種といえる」という。長く権力の座にあると、自信過剰になり、周囲が見えなくなる。ニューヨークで、乗務員のサービスに激怒して飛行機をひきかえさせた「ナッツ騒動」も「傲慢」の代表例という。

トップが上司への甘言も巧みな、いわゆる「ひらめ社員・役員」に囲まれているうちに、組織の成長や存続を脅かすリスクにさえ鈍感になりかねない。その対策として、オーエン氏は、「暴走しはじめた本人に目を覚まさせる側近をつける。精神カウンセリングをうける努力をしてもらい、手がつけられない場合は辞めてもらうべきだ」と話す。

一方、日本国憲法では、「裁判官の独立」を保障する観点からその身分は手厚く保障されている。「裁判官の独立」こそ、「傲慢症候群」の温床である。そのような裁判官に「親子の人生」の決定権を委ねることは恐ろしいことである。家庭問題は、本来的に私的自治の領域にあるのだから、家庭裁判所は、当事者の自力での解決を援助するためにこそ存在するのではないか。

3.「単独親権制」廃止を展望した「共同監護」

現行実務が「単独監護原理主義」だからといって、それに反発する「共同親権教条主義」では、違法で異常な実務を打破できない。いつまで、離婚後の単独監護条項の類推適用で凌ごうというのか? 法律家なら、このような法運用が「単独親権の前倒し」であることが分からないはずがない。その実務運用を平然と肯定しているのだから、法曹資格を剥奪すべきではなかろうか。

ところで、離婚前の「監護者指定」審判について、かつては実務でも共同監護の規定を活かす形での解決が模索されてきた。沼田幸雄判事によれば、「監護者指定」の審判が暫定的なものであることをも併せ考慮すれば、条文に反する単独監護を特に固有の効果もないのに審判主文であえて宣言する必要はなく、むしろ共同監護であることを確認した上で、必要に応じて夫婦の双方または一方に対する不作為命令とか作為命令などを組み合わせて主文を掲げることとすれば足りるのではないか、という。それは「共同監護命令」というべき内容であり、カリフォルニア州の「共同監護」モデルを参考にしている。すなわち、単独監護という一方の親の親権を停止するような内容の審判から、子どもとの時間を平等にするような形態の内容のものまで、夫婦の実情に合せて、「共同監護形態の形成処分」をしていくべきではないか、という。「親権停止」を「単独監護者指定」で代替するのは法的には誤りである。しかし、「監護者指定」を「共同監護命令」の内容をもつ「バリエーション豊かな形成処分」とする点で、家事審判の真骨頂を発揮しているといえる。

「共同監護命令」の内容をもつ「バリエーション豊かな形成処分」となれば、当事者が解決の主導権を握らなければならないし、そこでは「単独監護原理主義」も「共同親権教条主義」も無意味になる。ここで何より大事なことは、離婚前の「共同監護」が離婚後に引継がれていく「現実」である。そして、当事者の「共同監護」の実績が、離婚後の単独親権制廃止を展望させる。すなわち、まず民法改正があって、それによって共同親権が実現するのではない。父母が「共同監護」を実践することによってのみ、単独親権制は廃止されるのである。したがって、家裁を利用する当事者は、「争う」よりも「共生」の解決を目指すべきであろう。

 

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