『噂の眞相』と『LITERA』 |
穂積剛 |
2017年5月 |
1. 伝説のスキャンダル雑誌『噂の眞相』
あの伝説的スキャンダル雑誌『噂の眞相』に私が出会ったのは、大学生のときだった。「反権力・反権威スキャンダルマガジン」を標榜し、マスメディアには絶対に出ない過激な記事が充満していた。
最初にこれに触れたときの印象は、「見てはいけない危険なものを見てしまった」というものだった。普段の日常生活では絶対に接点のないアングラな世界。ここに足を踏み入れることは、引き返せない道に進む羽目になることは直感的にわかっていた。だがその強烈な吸引力には逆らえず、書店でつい手にとって購入してしまったのだ。
それ以来、この雑誌の完全に虜になり、『噂の眞相』と名の付くものはすべて購入してきた。今でも最初の1冊、1987年6月号からすべてのバックナンバーが揃っている。創刊号が1979年11月号だから、創刊してから7年半後の時期から読み始めたことになる。毎月10日の雑誌の発売日が待ち遠しく、その日には何があっても必ず書店で『噂の眞相』を購入してきた。
2. 『噂の眞相』初期の衝撃的記事
『噂の眞相』創刊初期の事件と言えば、なんといっても1980年6月号に掲載した「天皇Xデイに復刻が取沙汰される公室ポルノの歴史的評価」という記事だろう。アングラ出版で出回っていた公室風刺のポルノ小説を記事で紹介したことから右翼諸団体が激怒し、印刷を請け負っていた凸版印刷や取引先の第一勧業銀行(現みずほ銀行)、それに広告掲載企業などに激しい抗議活動を展開した。
れによって凸版印刷は印刷中止を右翼に約束し、広告掲載企業も相次いで出稿中止という事態になり、『噂の眞相』は休刊の危機に直面する。『噂の眞相』編集長の岡留安則は右翼団体に謝罪文の掲載を約束して収拾を図るとともに、急遽代わりの印刷会社を探して雑誌の存続を優先させた。
この事件を契機に、『噂の眞相』には印刷会社のクレジットがなくなった。同時に広告収入に依存する経営を改善し、雑誌の購入収入だけに依拠するようになった。このことが、結果的に『噂の眞相』の強みに逆になっていった。
1985年1月号(1984年12月11日発売)で、当時のグリコ森永事件でのハウス食品恐喝事件をめぐり、警察が大チョンボして犯人を取り逃がしていた事実と、マスコミがこの件について報道協定を結んで事実を隠していた件をすっぱ抜いた事件も大きな話題を集めた。誘拐事件のように人命がかかった問題でない限りは、警察の捜査に協力するためにマスコミが知っている事実を報道しないという協定を結んでいることに疑問を呈し、あえて報道に踏み切ったという判断だった。
雑誌のゲラを入手していた新聞各社が警察庁に協定解除を申し入れ、雑誌発売前日の12月10日に報道協定が解除される。この時点から大々的にこの事件が報道されるに至った。このときの大報道を覚えている人も多いだろう。
『噂の眞相』編集部には、事前に警察庁から掲載中止の申し入れがあった。しかし岡留がこれを無視して掲載したため、その直後に『噂の眞相』編集部は警察による家宅捜索を受けるに至っている。警察による典型的な報復措置だ。
3. 「ロス疑惑報道」へのスタンス
こういう反権力・反権威というスタンスが感覚的にも非常に性に合った。
例えば印象に残っているのは、いわゆる「ロス疑惑」報道に関して『噂の眞相』が放った「“ロス疑惑”仕掛け人をめぐる金と女の“大醜聞疑惑”を追跡!」という記事だ(1987年5月号)。
「ロス疑惑」といえば週刊文春が報じたロサンゼルスでの殺人疑惑報道で、今は亡き三浦和義を保険金殺人の疑惑の対象として大々的に取り上げていた記事だった。この週刊文春の記事をきっかけにして、テレビのワイドショーなども一斉に三浦を「極悪人」として報道し、マスコミによる吊し上げとも言うべき異常事態に発展した。
私は当時この報道に、著しい嫌悪感を覚えていた。政治家でも高級官僚でも芸能人でもない単なる一般人を、マスコミが寄ってたかって集中攻撃し続けることに疑問を感じたのである。権力者や権威のある強い存在を攻撃するのではなく、一般私人に対する集中豪雨のような報道は、どう見ても単なる弱い者いじめにしか思われなかった。
そうした中で『噂の眞相』のこの記事は、このロス疑惑報道を仕掛けた週刊文春の編集次長だった安倍隆典についてのスキャンダル記事だった。簡単に言えばこの安倍は、宗教団体の内紛を取材している最中にその取材対象者から3500万円もの借金をして、その見返りとして記事の内容をボツにした疑惑が持たれていた。この当時に安倍は、テレビにも出演して三浦和義の刑事事件についてコメントしていたのに、他方で自分は取材対象者から多額の借金をするという記者としてあるまじき行為をしていたのである。
私が『噂の眞相』を読み始めたのは、この記事が載った翌月の1987年6月号からだったが、この記事の続報が掲載されていた。その続報記事に非常に共感したのを今でも覚えている。
週刊文春という大メディアの編集次長という立場は一つの権威である以上、権力も権威も影響力もない単なる一般人である三浦和義などよりもよっぽど書かれるべき立場にある。それを敢然と実行した記事には、メディアとしての矜持が感じられた。
4. 後のデスク「神林広恵」
『噂の眞相』が創刊されて10周年の記念として、1989年5月に発行されたのが、『「噂の眞相」の眞相』という別冊号だった。これは、他人のことばかり書いている以上、自分たちのことも曝露して世の中に知らせる、というコンセプトで編集された別冊であった。
その冒頭記事に「『噂の真相』編集室24時」というドキュメント記事がある。『噂の眞相』の記事がどのようにしてできあがるのかを写真と記事で紹介した内容で、そこに出てくるのが「K嬢」という女性である。
「AM12:00 リュックを背負い10段ギヤ付きのチャリンコに乗って編集部員・K嬢が出社。彼女は昨年、競争率約100倍の入社試験を突破して採用されたばかり。ワンレン、ボディコンという意表をついたスタイルで『噂の真相』読者として、面接に現われ、岡留編集長や川端幹人副編集長をして『むっ、できる…』といわしめた“才媛”である。」
これが、後に『噂の眞相』のデスクを務めることになる神林広恵であった。後述するように、現在までこの『噂の眞相』のDNAをひくメディアを続けているのが実はこの神林である。
1995年6月、作家の和久俊三に関する記事などを理由として、東京地検特捜部は岡留安則編集長とこの神林広恵の二人を、名誉毀損罪で在宅起訴した。私が司法修習生になったばかりの年のことである。
東京地検のしかも天下の特捜部が、政治家や官僚や財界人などの大物の贈収賄とか特別背任とかの捜査ではなく、単なる弱小出版社のしかも名誉毀損罪を手がけるなどというのは、通常では考えられない。明らかに、何らかの政治的な力が働いたとしか思われなかった。
しかしこれで大人しくなるような『噂の眞相』ではない。逆に起訴時点の東京地検特捜部長の宗像紀夫(現弁護士)のスキャンダルを記事にして出す、という意趣返しを行う。このとき宗像は、パチンコ業者からアゴ足つきの豪華な接待旅行を受けていたとの疑惑を1995年11月に報じられている。
5. 東京高検検事長の辞任騒動
マイナーでアングラな印象だった『噂の眞相』が一挙にメジャーになったきっかけとなったのが、当時の東京高検検事長(検察のナンバー2)だった則定衛(現弁護士)が、交際していた愛人ホステスを公費出張に同伴し、偽名で宿泊したうえ別れる際の慰謝料をパチンコ業者に肩代わりさせたというスキャンダルを報じた記事だった。
この記事を掲載した1999年5月号が発売になる前日の4月9日、朝日新聞が朝刊一面トップで「東京高検則定検事長に『女性問題』、最高検、異例の調査へ 進退問題に発展も」と報じたのである。記事の本文中には、「『噂の眞相』(五月号)によると」として、記事が『噂の眞相』の後追いであることが明記されていた。
これによって結局検察のナンバー2は、辞任を余儀なくされることになる。この出来事で、『噂の眞相』の知名度は一挙に上がったと思う。12年も前から熱心に読んでいた私にとっては、複雑な思いでもあった。
6. 右翼襲撃事件
『噂の眞相』にとって分岐点となった右翼襲撃事件が起きたのは、調べてみたら2000年6月7日のことだった。
皇室がらみの一行記事に抗議に訪れた右翼団体構成員2名が、対応した岡留編集長と川端副編集長に対して突如暴行に及び、岡留は額を7針、大腿部3針で全治40日という重症を負わされた。この事件自体も、『噂の眞相』2000年8月号では丸ごと記事にしてしまっている。
もっともこの事件の影響は大きかった。当初岡留編集長は、2004年には『噂の眞相』を黒字のまま休刊させ引退することを構想していたが、後継者がこの雑誌を引き継いでくれるのであれば、次を託そうとも考えていた。その後継者として考えていたのが、副編集長の川端幹人だったという。しかし川端はこの右翼襲撃事件を経験したことで、自分がこの『噂の眞相』を引き継いでいくことに自信を喪失してしまう。そのため後継者が不在となり、『噂の眞相』は結果として休刊することになってしまった。
ほかにもこの雑誌には、芸能情報やサブカル情報などマスメディアが決して書けない記事を毎号満載していた。
例えばジャニーズ事務所の所属タレントのタブーを斬りまくったのも、『噂の眞相』の独壇場だった。特に2000年12月号に掲載された「国民的アイドル『SMAP』リーダー中居正広を襲った妊娠中絶劇の顛末」という記事は、中居が交際女性を妊娠させた挙げ句に妊娠中絶させた出来事が、物証とともに迫真性をもって記述されている。このとき『噂の眞相』は、中居が自分で書いたという「妊娠中絶同意書」や中居正広本人からの留守番電話の音声まで入手していた。
『噂の眞相』はこの留守電音声をWebサイト上で公開までしたというが、ジャニーズ事務所に支配されているマスメディアは一切この件を報じなかった。
7. 森喜朗の買春検挙歴
休刊が決まっても、雑誌自体は非常に元気だった。2000年6月号には、現職の総理大臣であった森喜朗が、早稲田大学の学生時代に売春防止法違反(当時は売春等取締り条例違反)で検挙された「買春」の前歴があるというスクープ記事を飛ばした(5月10日発売)。これには永田町・霞ヶ関スジが騒然となったようで、1週間後の5月17日に森喜朗は『噂の眞相』を名誉毀損で民事で訴えるというスピード提訴に及んでいる。
この裁判において森喜朗は、買春での検挙歴を断固として否定し、記事は事実無根だと主張した。これに対して『噂の眞相』側は裁判において、検挙の際に作成された森喜朗の「前歴カード」にある「犯歴番号」と「指紋番号」を入手し、これに基づいて警視庁への調査嘱託を裁判所に申し立てるという対抗手段に打って出る。しかもこの調査嘱託を、東京地裁が採用したのである。
けれども裁判所の調査嘱託に対する警視庁側の対応は、犯歴情報は犯罪捜査のための資料であり調査には応じかねるというものだった。警察は、あからさまに森喜朗の味方をしたのである。
一審判決(2001年4月24日)では、この森喜朗の検挙歴に関しては、明らかに判断を回避した不可解な判断を下した。森喜朗の犯罪歴の立証を『噂の眞相』側はできなかったとしたが、かといって《訴訟上の信義則に照らして》損害賠償請求も認めるべきではないというよくわからない理屈で、名誉毀損の成立を認めなかったのである。名誉毀損訴訟の最高裁での法的枠組みには存在しない、極めて特異な論理であった。
しかも『噂の眞相』はこの事件の控訴審において、さらに反撃に出る。すなわち、『噂の眞相』2001年7月号で、森喜朗の10本の指紋を懸賞金付きで誌上募集するという奇策である。指紋が明らかになれば、専門家の鑑定により「指紋番号」との類似性を判断できる。
こうして『噂の眞相』2001年9月号は、森喜朗の左右の手形が揃った色紙を入手したとする記事を掲載した。これを簡易鑑定した結果、森喜朗の指紋番号と一致していない確率は500万分の1以下だとする鑑定書を裁判所に提出したという。
結局この事件は、『噂の眞相』の休刊時期が迫っていたということもあって、賠償金ゼロ円で東京高裁で和解により解決した。
8. 『噂の眞相』の隆盛と休刊
こんな面白い見世物を誌上で見せられて、部数が伸びないはずがない。このころには『噂の眞相』の発行部数は、天下の国民的月刊誌『文藝春秋』に次いで我が国で第2位という位置にまで伸張した。ここまで行けば、日本の世論にまで大きな影響を与えるのに十分な数である。
しかし、これだけの雑誌を一人で率いてきた岡留安則の疲弊も大きかったらしく、『噂の眞相』は予告どおり2004年4月号をもって「黒字休刊」する。私にとってもこれは、非常に残念なことだった。
休刊により『噂の眞相』編集部は解散し、岡留安則は沖縄に移住して余生を過ごすことになった。岡留は評論活動を続けていたが、日本で第2位の発行部数を誇ったこのリベラルな雑誌がなくなったことは、この国の世論にも大きな悪影響を及ぼしたと思う。その後10年でこの国がここまで極端な右傾化に走ったのも、『噂の眞相』の休刊が一つの大きな要因だったのではないかと私は思っている。
私が弁護士になった当時、知り合いの弁護士の一人がこの『噂の眞相』の弁護団をやっていたことから、自分も弁護団に加盟させてくれとお願いしたことがある。しかしこれは断られた。岡留安則が全共闘出身だったこともあり、人脈的には新左翼系の弁護士が弁護団として活動していたが、当時私が所属していた東京法律事務所は共産党系の事務所だったからである。私自身は単なるリベラリストで、新左翼とも共産党とも縁もゆかりもなかったのだが。
こうして『噂の眞相』は、表舞台から姿を消すことになった。
これだけ世間をさわがせた雑誌がなくなった「ウワシンロス」は大きかった。そして10年も経って、この感覚はすっかり忘れかけていた。
9. 『LITERA』と神林広恵
そうしたときに見かけたのが、Webサイト『LITERA』(リテラ。http://lite-ra.com/)だった。
「本と雑誌の知を再発見」、「小説、マンガ、ビジネス書、サブカル、新書、週刊誌、女性誌…本と雑誌のニュースサイト/リテラ」と宣伝されており、これだけ見ると文芸書評サイトみたいだが、実際の内容は権力批判、政府・官僚批判、マスコミ批判、御用文化人批判、それにサブカルや芸能情報がてんこ盛りで、まさに『噂の眞相』テイストが発散されている。
内容から見て、『噂の眞相』関係者かあるいは信奉者が関与しているだろうと思っていたら、やはりそうだった。これをやっているのは渋谷区道玄坂の株式会社ロストニュースという会社で、その代表者は『噂の眞相』のデスクを務めていた神林広恵だった。副編集長だった川端幹人もこれに関与しているらしい。
匿名性の高いネットというメディアがネトウヨの跳梁跋扈する暗黒世界になっている中で、マスコミには載らないリベラルな記事をこのメディアは積極的に配信しており、その存在感は際立っている。毎日数本の記事を配信し、広告収入を糧にして運営されている。そのため速報性はあるが、『噂の眞相』に比べて深い取材に基づき事実をえぐり出すような記事には欠けている。むしろ論評的な記事の方が多い。
しかし、このサイトに比肩すべきメディアは現状では存在しておらず、非常に貴重な存在だと言える。ネットメディアという速報性ゆえに、タイムリーな記事を数多く配信しており、参考になることも多い。しかも、何よりも面白い。
神林広恵は『噂の眞相』休刊後、作家の室井佑月の秘書的な仕事をしたり、テレビのコメンテーターとして出演したりしていたようで、その後の2014年7月にこの『LITERA』を始めている。安倍政権発足後、朝日新聞に対する異常なバッシングなどが繰り広げられていた時期である。
『噂の眞相』の後継者を嘱望された川端幹人はこれを断ったが、そのDNAを受け継ぐこのサイトを主宰して孤軍奮闘しているのは「K嬢」こと神林広恵だった。その孤軍奮闘ゆえに、ネトウヨだらけのインターネットにおいて『LITERA』は攻撃の的に晒されている。その勇気は心底から尊敬に値する。
10. 『LITERA』への期待
記事の多さと速報性を重視しているため、取材の深さや検証の不十分さが散見されるのが不安要因のように思う。右翼からの集中攻撃の矢面に立たされているがゆえに、記事の配信にはもっと十分慎重な配慮をすべきように感じられる。そうでないと、足を救われかねない。
そして、かつての則定衛や森喜朗のスキャンダル記事のように、より深く突っ込んだスクープを飛ばせるようになれば、よりメジャーな存在になれる可能性もあるだろう。
極端に右傾化したこの日本社会において、唯一無二といってよい貴重なメディアがこの『LITERA』である。今後、さらに記事の精度を上げていくとともに、内容的にも深みのあるメディアとして成長していってくれることを期待している。
以上
(文中敬称略。画像はすべて『噂の眞相』誌から) |