「排除」か、「共生」か? ・・
家事調停の指針 |
後藤 富士子 |
2020年3月 |
1.離婚前の監護権紛争と法的手続
夫婦間で離婚紛争が起きると、未成年の子の親権・監護権が深刻な法的紛争になる。たとえば、子を連れ去った妻が、単独の監護者となるために「監護者指定」の調停・審判を申し立てる。一方、夫は、自らを監護者と指定し、子の引渡しを求める「監護者指定」「子の引渡し」の調停・審判さらに保全処分を申し立てる。この「監護者指定」や「引渡し」は、未だ離婚が成立していない共同親権者の一方から監護権を全的に剥奪するものであり、それは親権を喪失させるのと異ならない。すなわち、離婚後の「単独親権者指定」を前倒しするのである。
しかしながら、現行民法は、離婚後は父母のどちらか一方の単独親権としているだけで、離婚前の共同親権が否定されるわけではない。したがって、仮に「監護者指定」の申立てがされても、裁判所が審判で一刀両断に「単独監護者指定」をするのは違法というほかない。
この点に関し、私は、「親権」や「監護権」という観念的な権利を法的に争うことは有害無益と考えている。また、離婚前の「子の引渡し」も、子の福祉を害するだけでなく、関係者全員を不幸にすることを経験的に知っている。それで、経緯がどうであれ、子と同居している親に対する面会交流調停申立てにより、親子の断絶を防ぎ、子の健全な成長に資するかかわりを追求することに努めてきた。すなわち、「監護権」という法的権利概念ではなく、「同居親」「別居親」という事実状態を前提にして、別居親と子の交流を図ることである。
2.家裁の実務運用
ところが、家裁の扱いは、面会交流は、非監護親と子の面会交流とし、子と同居している相手方を監護者と認めることを前提とする。単に別居しているというだけで、なぜ「非監護親」の烙印をおされるのか。これを認めるわけにはいかないので、調停期日間の面会交流実施を積み重ねて調停合意が見えてきた時点で、「共同監護」調停申立てを新たに追加した。現在の申立書の書式では、事件名が「子の監護に関する処分(○○)」となっているので、(○○)のところに「共同監護」と記載したのである。ちなみに、「子の監護に関する処分」とは、離婚後の監護に関する事項について定めた民法766条に準拠しているのであり、監護者指定、面会交流だけでなく、「その他の子の監護について必要な事項」がテーマになりうる。したがって、離婚前であるから、「共同監護」を確認したうえで、面会交流の充実を図ろうとしたのである。結果的に、相手方が「共同監護」条項に同意しなかったため、面会交流条項で調停成立させたが、「相手方を監護者と認める」との条項も入らなかった。
また、「監護者指定」の申立てについて、家裁の扱いは「単独監護者指定」であるとして、調査官の調査は、「父母のどちらが監護者として適格か」という結論を出す調査と思い込んでいる。そのうえで、心ある裁判官は、そのような調査は、現に実施できている面会交流に否定的影響が出るのではないかと、調査自体に消極的になる。これは、離婚前に「単独監護者指定」をすることが実体法上違法というだけでなく、そもそも調査官が「父母のどちらが監護者として適格か」という「意見」を述べること自体も手続法上違法な越権行為というほかない。
かように、現実の家裁実務運用は、現行法から乖離しているうえ、紛争当事者を不幸にしている。
3.何のための調停なのか?
「子の連れ去り別居」から始まる離婚紛争では、「別居」自体に積極的意義が見出せる。別居当初は、子を連れ去られたことの悲嘆で精神科に通うことになる親でも、面会交流などの調停手続で当事者として主体的に事態に向き合うようになると落ち着きを取り戻してくる。そして、子どもと会うことができさえすれば、別居によって夫婦間の険悪状態から物理的に免れるので、むしろ心身の平穏が得られ、仕事に集中できるようになることも少なくない。さらに、子どもにとっても、同居している父母間で諍いが絶えない状況から解放されるメリットは小さくない。すなわち、「父母の別居」を〈離婚=単独親権〉と短絡的に結び付けるのではなく、別居という「緩衝地帯」を紛争解決の有利な条件と捉えることができる。
そうすると、調停は、「どちらが」という「排除の論理」ではなく、「どのように分担できるか」という「共生の道」を追求する場になるはずである。そうすることによってこそ、当事者が紛争解決の主体になりうるのである。 |