疑問だらけの「単独親権」制 |
後藤 富士子 |
2023年7月 |
1.「離婚罰」?
現行の父母の「共同親権」制は、昭和22年の民法改正で導入された。民法818条は、第1項で「成年に達しない子は、父母の親権に服する。」とし、第3項で「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。」としている。父母の一方が親権を行うことができないときには他の一方が行うが(818条3項但書)、やむを得ない事由があり自ら親権を辞退する場合でも家庭裁判所の許可が必要である(837条1項)。
また、親権喪失については、実体的にも手続的にも厳格な制限がある。@虐待、A悪意の遺棄、B親権行使が著しく困難または不適当であることにより子の利益を著しく害するときに、法定された請求者の請求により、家庭裁判所が親権喪失の審判をすることができる。この審判は、「しなければならない」のではないうえ、@〜Bの事由が2年以内に消滅する見込みがあるときにはできない(834条)。「子の福祉」の後見的役割を負う家庭裁判所でさえも、父母の親権を剥奪することには抑制的である。
ところが、父母が離婚する場合には、必ず父母のどちらか一方の単独親権になる(民法819条1〜3項)。この「単独親権」制は絶対的であり、例外が認められていない。共同親権の例外が限定的であり、親権喪失審判も極めて抑制的であるのに比べると、「単独親権」制の絶対性は際立っている。法解釈論に引き直すと、「離婚」が法定の親権喪失事由になっている。
婚姻中に共同親権者であった父母の一方が、離婚によって親権を喪失するというのは、まるで離婚に対する制裁ではないか。これは、明らかに「離婚の自由」を侵害する。国家は、法律婚の解消を困難にして、国民を「法律婚」の枠内に閉じ込めようというのだろうか。
2.父母が単独親権を争うと「裁判官が決める」?
協議離婚の場合にも、単独親権者を決めなければ、離婚届が受理されない。父母の協議で決められないときに、父または母の請求によって家庭裁判所が協議に代わる審判をすることができる。裁判上の離婚の場合、裁判所が離婚判決の中で単独親権者を決める。
「子の福祉」にとって単独親権制に問題があるにせよ、父母の自由な意思に基づく合意により単独親権者が決まるなら、法的争いは生まれない。しかし、共同親権者であった父母の一方が離婚により親権者でなくなるのだから、協議は難航する。そうすると、最終的に家庭裁判所が決めることになる。
私が最も納得できないのは、当該子の養育に何の関与も責任ももたない裁判官が、いかなる条理に基いて、親権喪失事由のない親から親権を剥奪できるのか?という点である。
ちなみに、日本の裁判官は官僚制度の下にあり、養成制度に照らしても適任とはいえない。それを補完するために家裁調査官制度があるが、その調査は父母のどちらか一方を親権者から排除することを目的に行われるから、親権喪失事由がない親の親権を剥奪することに平然としている。裁判官も調査官も、「法律に従っただけだ」というのだろう。これでは、良心をもたない「官吏」そのものである。
3.「家制度」の名残でも「母系」ならいいのか?
日本国憲法24条により「家父長的家制度」が廃止される前は、父母の婚姻中であっても単独親権制が採用されていた。しかも親権者について第一次的に「家ニ在ル父」、第二次的に「家ニ在ル母」とされていた(旧第877条)。つまり、親子関係は、常に「家父長的家制度」の下にあったのである。
ところで、「選択的夫婦別姓」論は、96%の妻が夫の氏に改姓している現実を「女性差別」と捉え、「家父長的家制度」の名残からの脱却を志向しているように見える。しかし、婚姻により夫婦のどちらかが旧姓を失う法制度自体を、女性差別と断じることはできない。むしろ「夫婦同姓の強制」(民法750条)に代わるべき制度は、婚姻によって姓が変わらない制度、すなわち夫婦別姓を原則とする「選択的夫婦同姓」である。この制度になれば、「両性の平等」が貫徹され、「家父長的家制度」とも無縁になる。
単独親権制についても、同じことが言える。「家父長的家制度」から脱却するには、単に「家父長制」を克服するだけでは足りない。仮に単独親権者が母であっても、単独親権制自体が「両性の平等」と両立しないからである。実際、単独親権者が母である割合は、夫の氏を称する妻に匹敵する。「選択的夫婦別姓」論者から「単独親権制」を否定する声が聞こえないのは、「母系」なら「女性差別」ではないからであろう。
4.「排除」から「共生」へ―「男女共同参画社会」に向かって
絶対的単独親権制を廃止して、離婚後も共同親権を原則とすれば、「両性の平等」が貫徹されるだけでなく、「子の福祉」のためになすべき方策を離婚とは別の手続で追求できる。
共同親権者であった父母の一方を親権者から排除するためにエネルギーを費やすことは、有害無益である。単独親権制は、離婚に際し、父母の評価を「オール・オア・ナッシング」に帰結させる。しかし、実在する父母に、そのような評価は不自然である。むしろ、共同親権制の下で、「1:9」「3:7」「5:5」など実情に応じて「共生」する方策を講じれば足りる。
このような法的手続にすれば、子自身の意向を反映できるようになるメリットも大きい。「父母のどちらが単独親権者として適格か」ではなく、「どうするのが子の最善の利益に適うか」を検討する土俵ができるからである。それは、親世代の「男女共同参画」の実践になり、かつ子世代に「男女共同参画社会」のバトンを渡していくことになるはずである。 |