「再建日本の出発」から |
清水 淳子 |
2007年5月 |
また国立公文書館ネタで恐縮だが許してほしい。
過日、午前中に弁護士会の委員会を終えて、事務所に戻る前に寄り道しようと国立公文書館に向かった。天気が良かったので内堀通りをぐるりと回り、大汗をかいたが同時に新緑の香りを満喫した。
さて、同館では今(07年5月3日〜22日)、春の特別展「再建日本の出発−1947年5月 日本国憲法の施行−」が開催されている(入場無料)。改憲問題でにわかに世の注目を集めている日本国憲法が施行されてから60年を記念しての展示会である。ポツダム宣言受諾後、どのようにして新しい憲法・新しい国家を作っていったのか、その過程が議事録や草案などの文書に垣間見える。
憲法学者でもない私が言うのは僭越以外の何物でもないが、憲法は国の根幹である。すべての法律は憲法に従ったものでなければならないし、役人も国民も憲法によって立つ法律・制度に従わなければならない。しかも当時世界は、帝国主義を掲げて負けた日本が今後どういう国家を目指すのかに注目していた。それほど重大な憲法を速やかに制定する必要があった。戦争に負けてプライドはズタボロ、国土は焼け野原、産業を興す資源は元々なく、国民は相変わらずお腹をすかせている状況で、内閣はとにかく知恵を絞ったに違いない。
明治憲法の中途半端な修正みたいな当初案がGHQに却下されて現在の憲法の骨子が提示されたことは有名だが、近衛案・佐々木案など実際に提出された草案を目の当たりにすると、帝国主義の呪縛から解放されたばかりの日本人が清水の舞台から飛び降りたつもりで作成したにおいが感じられる。
そして新憲法の可決・公布に伴い、民法刑法の改正や教育制度の改革、地方自治制度の確立、公務員制度の刷新、労働基準法の制定など諸々の改正・改革がなされたが、目の前に並べられると半年のうちに実施されたとは思えない密度である。法改正の案はパブリックコメント(改正案を公にして一定期間を設けて意見を求めるもの。たいてい学者や業界団体、弁護士会などが意見を提出するが、資格を制限されているわけではない)に付し、その後に国会の審議にかけるなど非常な手間をかけるため、いざ改正するまでに相当時間がかかるのが今の常識である。しかし「公布しちゃった憲法の施行までにどうにかしないと」と切迫していた当時の改正・制定ラッシュは、新しい国を作ろうとするエネルギーなくしてはありえない。
そんな先人の志とエネルギーに驚嘆しつつ進むと、この展示の目玉(たぶん)「日本国憲法 原本」が見えてくる。
裁判長:
「書証の原本確認をします。被告代理人乙5から乙11はご用意いただいていますか。」
弁護士:
「あ、事務所に置いてきてしまいました。」
裁判長:
「そうですか、では次回尋問期日ですが、最初に確認することにしましょう。ご用意くださいね。」
弁護士:
「申し訳ございません…。」
の『原本』である。
あって当然だが、憲法にも原本があるのだ。総理大臣吉田茂をはじめとする内閣の署名が、照明を落とした一角に浮かび上がっている。何と言っても「原本」なので署名のページを開いてガラスケースに展示してあるだけだが、これほど大事にされている『原本』はそうそうあるまい。内容の是非・当不当は人それぞれだから置くとして、この憲法は今の日本を作った元細胞だ。その憲法を、オリジナルを見ながら改めて振り返ることはとても意義深いと思う。
ちなみに、内閣の署名はすぐ隣に展示してある明治憲法制定時の内閣の方が概して達筆である。しかも幕末ファンにはこたえられないメンバーなので、ぜひこちらもご覧いただきたい。 |