人権としての「子育て」
性別役割分担と単独親権制 |
後藤 富士子 |
2011年6月 |
親は既に「出来上がった大人」として、「未熟な子ども」を養育するという前提は科学的に間違っている。大人も死ぬまで成長・発達するものであり、親自身が成長・発達することが、子どもの「育ち」にとって重要なことが証明されている。親の自己成長・発達は、親自身の幸福感と心理的安定の基盤であるだけでなく、子どものモデルとして重要である。それは、子どもが「有能な観察学習者」だからである。子どもは、親がどうふるまっているか、どう生きているかということを自分のモデルとして学ぶ。子の発達に対して親がなし得ることは、親自身が、どんなことであれ、自らが成長すべく努力し、精一杯生きている姿をみせることである。さらに、思春期になると、子どもは、親たちを「夫と妻」としてみるようになるし、親を職業人としても、家庭人としても観察する。両親が夫婦として調和せずに批判し合う対立関係にあることは、子どもにとっても不快で疎ましい。子どもは、その不快感を直接、親には言わないけれども、間接的な形で親に抗議し、批判する。親たちの発達は、子どもの心理的安定の基盤であると同時に、子どもの発達のモデルなのだ。
幼児の監護者として「母親が一番」という母性神話も科学的に間違っている。子どもや育児への態度や心理は、血縁や性の違いを超えて、養育責任と養育体験をもつことによって育まれる。人類は、育児本能をもつ動物とは違って、他者の心を理解し、他者を援助しようとする心が進化した人間ならではのこととして、小さく弱いものを慈しみ守り育てる心とスキルを持ちうる。父親が育児から降りてしまう状況は、人間ならではの心と力を無視している。人類の父親は、困難な育児をつつがなく成功させるために進化したものとも言える。日本における父親の育児不在状況は、子育て=繁殖成功の必需品として進化した機能が不全に陥っていることを意味している。ちなみに、脳科学の知見によれば、「ヒトを人間たらしめる」脳領域は前頭連合野であり、「社会の中でうまく生きて、最愛の配偶者を得て子どもをつくり、きちんとした成人に育てる」という目的で進化発達してきた知性群である。その脳機能を高めるには、「できるだけ多く他者と関わる臨床体験を重ねること」に尽きるが、8歳までが勝負という。
ところで、男女を問わず、家族役割を担い家庭生活を享受することは、人間として当然の権利であり責任である。家庭(家族)責任および権利が男女労働者双方のものであることは、ILO条約第156号「家族責任をもつ男女労働者の権利」に明記されている。スウェーデンでは、男性もごく普通に育休をとっているが、それは、職業と家族役割を同じ比重で尊重する理念に基づき、育休をとることが職業上不利になるどころか有利になる制度的な裏付けがあり、男性の育児権が保障されているからである。
ところが、日本では、1999年6月、「男女共同参画社会」法が国の基本的政策の柱として成立したが、一向に進展がない。この目標を実現するために必要なことは、「ワーク・ライフ・バランス」の確立である。ここで「ライフ」というのは、家事・育児など家庭のことをすることではない。家事は生きるうえで必須の労働であり、「ワーク」である。ライフとは、勉強、教養、趣味、スポーツなど心身の成長・発達のための個人の活動である。こうした活動は、経済と家事・育児といった生きるうえでの安定、すなわちワークの基盤があってこそ成り立つ活動である。妻が専業主婦の場合、男性は職業のワークを、女性は家事・育児のワークを分担しているだけで、夫も妻も「ライフ」どころではないのが現状である。
しかし、「ワーク」だけとってみても、人間にとっての発達を考えた場合、複数役割に関与することで質的な展開がみられる。育児は、職業とは全く異質の活動で、育休をとった父親は「育児は育自」を実感し、仕事の価値を相対化できるようになる。発達の原則からみれば、一つのことだけに集中していることは、心理的健康を害し、能率的にも良くない。また、生活体験を欠いた企業の経済活動が、社会やそこに暮らす人々にとって良いはずがない。異質な体験が、それらの問題を修正することになるのである。そうすると、依然として仕事に偏りがちな日本の男性にとって、子育てという権利の保障は大切である。
こうしてみると、単独親権制は、人類のサバイバル戦略と背反するもので、親にとっても子にとっても、成長発達を疎外するものである。また、社会学的に見れば、単独親権制と「母親優先」の運用は、ジェンダー・バイアスとジェンダー・アンバランスの象徴にほかならない。さらに、審判だ訴訟だと権力・権威に解決を委ねるあり方/話合いによる解決を図ろうとしないことも、脳機能の劣化・退化を示唆している。
しかるに、日本国憲法は、このような人間の尊厳を冒涜する事象を克服する規範として存在しているのである。
【参考文献】
柏木惠子『子どもが育つ条件―家族心理学から考える』(岩波新書)
門脇厚司『社会力を育てる―新しい「学び」の構想』(岩波新書) |