今でこそオジサンだかオバサンだかわからない私だが、これでも若いころはいちおう女の子だった。何の言い訳だかよく分からないが、今をさかのぼることウン十年前、高校生になるくらいまでは、お菓子作りをよくやったという言い訳だ。何のことはない、自分でケーキを作れば、1切れと言わずまるまる1個食べられるから、という食い意地の張った理由からである。お菓子作りの本を読んでは、次はチーズケーキを作ろうとか、次のお小遣いでシフォン型を買おうなどと考えてうっとりしていたものである。
そしてとある年末。栗きんとんが好きだった私は、「腹いっぱい栗きんとんを食べたい」といういつもの理由から、自分で栗きんとんを作ることを思い立った。売っている栗きんとんはあまり量が少ない。丼ぶりいっぱい食べたら家族の分がなくなってしまう、というかそもそも市販の栗きんとんが丼ぶり一杯分あるのか?。正月早々「家内安全」をぶち壊さないためにも、栗きんとんは小皿にちょこっとしか食べてはいけないのだ。
さて、「腹いっぱい栗きんとん」画の手始めとして、道具にもこだわるシミズは、本格派・馬の毛で編んであるこし器を買った。普通の家庭で使うステンレスのこし器ではこした餡がざらざらして金気が残ってしまうらしい。和菓子屋さんなどでは口当たりよく仕上げるため、素材の味がそのまま残るように、この「馬の毛」+「木の枠」のこし器が基本だと何かの本に書いてあったのだ。それまでうちにあったのはフツーのカネのこし器だったから、生意気盛りのシミズ・ザ・高校生は「これではきんとんが金臭くなってしまう!」などとうそぶいて、お小遣いをはたいて馬毛と天然木でできたこし器をゲットしてきたのだ。
そして、クリスマスの翌日、気分をお正月に切り替えて、栗の甘露煮やクチナシの実、サツマイモをそろえて準備万端、栗きんとんに取りかかった。
フードプロセッサーなんて便利なものはなかったし、何しろ「本格派」「高級栗きんとん」を目指していたので、サツマイモも皮をむいて、水にさらして、蒸して、なんて手間暇かかることを一つ一つやった。
買ってきたばかりのこし器は、洗浄と毛を柔らかくするため何度かお湯をかけた。若干馬臭いが、何度かけても同じなので、そんなものなのだろうと調理に取りかかる。
蒸し上がったサツマイモを1かけずつこし器に乗せて裏ごししていく。カネのこし器に比べて網が柔らかいのできめ細かく漉せる感じだ。
小一時間もかけて全部裏ごしし、鍋に移したらお砂糖と水あめを加えて火にかけて練る。ツヤツヤになったら栗の甘露煮を入れてでき上がりだ。
丼ぶりいっぱいどころか鍋いっぱいの栗きんとんだ。
達成感と幸せをかみしめ、さっそく味見をした。
( ̄Д ̄;;
…………………………………馬臭い
想像してほしい。お口いっぱいに広がる馬の香り。(分からない人は乗馬部のある大学を探して馬舎前に半日立ってみよう)
材料は何一つ間違っていないので、甘い栗きんとん以外のどんな味もしないはずなのだけれど、鼻に抜けるのは100%馬のにおいなので、栗やおイモを食べているというより、全く別の、一度も口にしたことのない何かを口に入れている気がする。
せっかく作ったのに(しかも鍋いっぱい)これじゃあ食べられない。温かいからにおい立つのかもと冷蔵庫でキンキンに冷やしてみた。が、冷やされて緩和された馬臭さが、口に入れると体温で温まり、冷→温効果で余計に口いっぱい、鼻腔いっぱい、ついでに目から耳まで、馬の香りに包まれるという残念な結果になった。
こうして半日がかりで作った鍋いっぱいの馬きんとんはあえなく生ゴミになった。
小遣いをはたいて買った馬毛のこし器もそれきり出番なく、毛が切れて捨ててしまったが、未だにどうやって使えばよかったのか分からない。どうして和菓子屋さんは馬臭くないお菓子を作れるのだろう?
年末のデパ地下やスーパーに並ぶ栗きんとんを見ると、あの馬の香りが鼻の奥をかすめてちょっぴりせつない気分になる。懐かしい栗きんとんの思い出である。 |