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コラム・弁護士

 
   

官僚裁判官に見る
「イェルサレムのアイヒマン」

後藤 富士子

2013年12月

弁護士 ・ 後藤 富士子

■ ウソみたいなホントの話

関西の家裁支部の事件。実家に戻った妻が夫に対し、長男(5歳)の引渡しを求める本案審判と仮処分の申立てをした。長男は、母親から物を投げつけられたり、胸を足で踏みつけられたり、洗面器で顔面を殴られたりされたため、母親に引渡されることを拒んでいた。ところが、家裁調査官は、これらの虐待行為を認定したうえで、「体罰が不適切であることは明らかであるが、母親による監護によって長男の発育や母子の愛着関係に特段の支障を及ぼしているとの事実は認められない」「同居中は専業主婦であった妻が主たる養育者であり、監護の継続性が重要である」「別居後は会社員として就労している夫が両親と共に長男を大事に監護しているが、祖父母の監護は実家に暮らす妻の監護に優先させるべき特段の事情は認められない」として、引渡しを認容すべきとの意見を呈示した。家事審判は、「専門家」とされる調査官の報告書を「審判」に書き直すだけなので、長男を妻に「仮に引き渡せ」との仮処分および妻を監護者に指定したうえで引渡せとの本案審判がされた。

仮処分に基づき、執行官の強制執行が行われた。執行官は、長男一人と相対して、「母親の下に行く意思があるか」を確認したところ、長男は拒否した。執行官は、長男と接しているから強制力を行使して執行することも可能であったが、そうすると長男に身体的ダメージを与えるおそれがあるので「執行不能」とした。

すると、妻は、地裁支部に人身保護請求の申立てをした。つまり、夫は長男(6歳になっていた)を違法に拘束しているというのである。裁判所は、仮処分や本案審判を鵜呑みにして、トコロテン式に「人身保護命令」を発した。これは、夫(拘束者)が審問期日に長男(被拘束者)を連れてこなければ、連れてくるまで勾留するという命令である。長男が引渡しを拒んでいるのに、父親が裁判所に長男を差し出すことなどできるわけがない。そして、夫は、拘置所に勾留された。さすがに裁判所もいつまでも勾留しておくわけにはいかず、10日後、認容判決(長男を釈放し、請求者に引渡す)をして夫を釈放した。人身保護命令は空振りに終わった。父は強し。

一方、引渡しの確定審判につき「引渡すまで1日3万円」の間接強制決定がされ、夫が勾留中に賃金に対し738万円(246日分)の強制執行(債権差押)がされた。1年分の金額は夫の年収の約2倍であり、「引渡すまで」であるから、日々3万円の支払義務が発生し続ける。

なお、妻は最初に申立てた離婚調停を取下げており、人身保護請求事件において被拘束者国選代理人の調査でも、妻の離婚意思は確認できなかった。すなわち、離婚の法的手続も係属していないのに、父母間で子の身柄の移転を裁判所が命じているのである。しかも、許せないのは、調査官が、「当事者双方が、子にとって父母いずれもが大切な存在であることを十分に認識し、子のために父母としての新たな協力関係の構築に向けて努力すること、監護者が確定した段階においては、すみやかに非監護親との面会交流を実現することが、子の健全な情緒発達に寄与するものと考える」などと特記していること。その偽善・欺瞞には吐き気がする。長男の意思を尊重して、夫を監護者に指定し、妻との面会交流を実現する方が、自然で無理がない。わざわざ引渡させて、夫を非監護親にしたうえで協力関係の構築に努力せよ、とは「気は確かか?」と言いたくなる。

■ 裁判の「陳腐さ」

裁判官は、「良心に従い独立して職権を行使し、憲法と法律のみに拘束される」と憲法76条3項に定められているが、引渡しを命じた裁判官は、調査官のいいなりで、自分で判断していない。「婚姻中は父母の共同親権」とする民法818条3項はどこへ行ったのか? 仮処分執行が不能になると予想しなかったのは、子どもを独立の人格主体と認めないからである。そして、同じ裁判官が、「1日3万円」の間接強制命令を出したうえ、738万円の差押命令も出している。

人身保護請求事件の裁判官らも、仮処分の執行において執行官は長男に意思能力があることを前提にして確認しているのに、「自己の境遇を認識し、かつ将来を予測して適切な判断をする能力」を「意思能力」とする昭和46年の最高裁判決に従い、また、意思能力のない幼児を監護することは、当然幼児に対する身体の自由を制限する行為が伴うから、その監護方法の当、不当または愛情に基づくか否かにかかわらず、人身保護法にいう「拘束」に当るものと解すべきであるとする昭和43年の最高裁判決に従うのである。

1960年、ナチス親衛隊で何百万のユダヤ人を強制収容所に移送した責任者アドルフ・アイヒマンが、逃亡先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関モサドに逮捕され、エルサレムに拉致された。その裁判を傍聴したハンナ・アーレントは、アイヒマンは「凶悪な怪物」ではなく、平凡な人間なのだと認識する。アイヒマンは、「自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意思は介在しない。命令に従っただけなのだ」と繰り返し主張した。ハンナによれば、「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪であり、そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのだ」とし、この現象を『悪の凡庸さ』と名付けた。また、裁判の中で明らかにされた、ユダヤ人指導者がアイヒマンの仕事に関与していたことにも触れ、「彼らは非力であったにしても、抵抗と協力の中間に位置する『何か』はあったはずで、別の振る舞いができた指導者もいたのではないか」と問い、「ユダヤ人指導者の役割から見えてくるのは、モラルの完全な崩壊であり、ナチスは、迫害者のモラルだけでなく、被迫害者のモラルも崩壊させた」と論じる。人間であることを拒否したアイヒマンは、「思考する能力」を放棄した結果、モラルまで判断不能となったのだ。そして、「思考」とは、自分自身との静かな対話であり、「考えることによって人間は強くなる。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬように」というのが、ハンナの結論になっている。

平成25年の裁判に、昭和43年や昭和46年の最高裁判例を持ち出すなど、現在そして未来に生きる親子には、信じられないことである。しかも、「勾留」だの「1日3万円」だの、その裁判をしている当の裁判官が異常と思わないのが恐ろしい。誤った裁判であっても、確定した以上どこまでも従わせようと暴走する。そこにあるのは「判例に従っただけだ」という『悪の陳腐さ』である。

結局、憲法76条3項が想定している裁判官は、「自分の主体性をかけて裁判する」という「思考する人間」でなければならず、官僚であることと両立しないのであろう。

 

【注記】

ハンナ・アーレントは、ナチスの強制収容所から脱出し、1941年アメリカに亡命したドイツ系ユダヤ人の哲学者。1951年には、『全体主義の起源』を公刊し、アメリカ合衆国の国籍を取得(それまで18年間無国籍)。

1961年、アイヒマン裁判を傍聴するためイスラエルに渡航。1963年、裁判のレポートをザ・ニューヨーカー誌に連載し、全米で激しい論争を巻き起こす。同年『イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』として単行本化。

1975年12月4日、ニューヨークで死去(享年69歳)。

 

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