関弁連寄稿「豪雪の長岡支部 銀風吹きすさぶ雪中行軍!」その1 |
鈴木 周 |
2014年2月 |
わたくしは、またまた関弁連の支部探検隊を結成し、2月4日に雪の長岡に行ってしまった。灼熱の熊谷の続編である。
熊谷の時は、「どうせ誰もオレのコラムなんか見やしないだろう。」と思って、関弁連だよりに掲載する前に、サイトにアップしてしまったところ、ツイッター等で「おーい、ここに全部出てるぞー。」なんて情報が出回ってしまい、編集部にひんしゅくを買ってしまった。軽率でした、すんません。ネット社会恐るべし。
なので、今回は、毎月関弁連だよりに掲載された分から一つずつアップすることにしたい。それにしても、長岡から帰ってきたら、東京も20年ぶりの大雪になり、こっちでも雪中行軍するハメになったのは何とも皮肉なタイミングであった。雪かきしすぎて腰が痛い。
〜 平成25年某日、東京は新宿西口小田急ハルク地下のビアレストラン「ミュンヘン」において、裁判所支部めぐり探検隊の検討会議が持たれた。1リットルの巨大ジョッキ(陶製、大変重いうえに残量が分からず不便)とセロリの浅漬けが届いたところで、昨夏灼熱の熊谷で苦楽を共にした山本純一氏、西岡毅氏、阿曽山大噴火氏の各隊員に対し、隊長から重大な事実が告げられた。
- 長
- 「こないだの灼熱の記事の最後で告知した『調布からJALで行く(プロペラ機)! 八丈島支部』のことなんだけどさ。」
- 員
- 「はい。」
- 長
- 「スマン、八丈島には…支部がなかったんだっ!」
- 員
- 「えーっ?」
- 長
- 「簡裁しかないんだ。ついでに言うと調布からは飛行機が飛んでなくて羽田なんだっ!」
- 員
- 「えーっ?」
- 長
- 「さらにいうとJALじゃなくてANAで、しかもジェット機なんだっ!」
- 員
- 「…それ、もうパーツが『八丈島』しか残ってないじゃないですか。」
- 長
- 「そう、我々に残された最後のアイデンティティは『八丈島』だけだな。」
- 員
- 「てか、なんでそんなこと調べないで記事にしたんですか?」
- 長
- 「ウム、弁護士になって以来、『八丈島は大きいから支部もあるんだろう』と信じ込んでたんだ。」
- 員
- 「なんていい加減な…。周りの人からも『いよっ、次は八丈島だね』なんて言われてるんですよ。」
- 長
- 「君たちだって、オレがさんざん言ったのに誰一人気が付かなかったじゃないか。関弁連の編集チェックだってシレっと通っちゃったし、会員から一つも投書がなかったし、みんな八丈島支部があると思ってたんじゃないのか。わはは。」
- 員
- 「トホホ、どうすんですか。八丈島行ってもドッカンめぐりになっちゃいますよ」
- 長
- 「うん、それで調べてみたら、調布からプロペラ機で伊豆大島に行く便があるから、大島簡裁には行けるんだな。」
- 員
- 「あっ、最後のアイデンティティまで棄てようとしてる!」
- 長
- 「だって、調布からプロペラ機乗ってみたいじゃないか。たった40分で着くんだぞ。」
- 員
- 「確かに興味ありますね。」
- 長
- 「アイデンティティは調布とプロペラ機にすり替えることにして、大島簡裁に電話して書記官に開廷日を聞いてみたんだ。」
- 員
- 「どうでした。」
- 長
- 「それが、そもそも『開廷日』という概念自体がないそうだ。」
- 員
- 「えーっ?」
- 長
- 「事件申立があって初めて、『じゃ、いつにすっかなあ』とか言って期日が決まるらしいんだ。」
- 員
- 「なんとまあ、そうなんですね。」
- 長
- 「年間の事件数は10件未満で、書記官も『人口が少ない上にご近所同士仲がいいんで争いごと自体がないんですよ…』と言っていたな。」
- 員
- 「それじゃしょうがないですね。残念だけどよそを当たりましょう。」
…と、多少の脚色はあれど、概ねこのような次第で八丈島企画はボツとなり、クサヤもヤギ汁も黄八丈の姉さんも雲散霧消したのであった。
隊員たちは、追加のビールと巨大紙カツを食べつつ、次なる候補の選定に入り、隊長持参の平成19年版弁護士職務便覧記載の裁判所支部を端から検討していった。その結果、隊長から「こないだは灼熱だったから、次は極寒にすっか。」という割と単純なアイデアが出、隊員からも「それがいい、それがいい。」との賛意を得た。寒さだけで言えば、長野の飯田支部か伊那支部あたりだろうが、「だいぶ遠いね。あと大雪降らないと、関東とそれほど差がないね。」ということになり、「せっかくだから豪雪地帯に行こう。」ということになった。すると浮上するのが、新潟の十日町や浦佐ということになるが、残念なことに、いずれもドッカンしかなかった。「惜しい、十日町なんて5mくらい積もりそうだけどな。裁判所のひとつ前のバス停で降りて雪中行軍したかったなあ。」と言い合い、「ま、ないものはしょうがない。それじゃ次回は新潟の長岡支部に決まり!」ということになった。
実を言うと、隊長である私は幼少時に長岡市に住んでいた。長岡は山間に比べるとやや積雪は少なく、いわゆる「二階から出入り」というようなことはないが、マックス時には約2mの積雪があり、関東の人間から見たらとんでもない豪雪地帯と言ってよいだろう。どういうわけか最近温暖化が進んでいるのに大雪が降るようになり、26年は特に豪雪だそうだから、短時間の滞在でも雪国生活を十分堪能できることが予想された。
- 長
- 「一番雪が積もってそうなのは2月の頭だな。じゃ、日程は2月4日(火)に決定! ドレスコードはどうしようか。」
- 員
- 「灼熱の熊谷の時は黒のスーツにネクタイでしたね。今度は逆だからクールビズですか。」
- 長
- 「それじゃ八甲田山だよ。風邪でも引いたら大変だから、東京で冬場に外出するときの恰好で行こう。それで十分落差を堪能できるだろう。靴は防水で、靴下の替えはあった方がいいよ。あと、持ってるんならアノラックとかスノトレとかも可にしよう。気分出るから。」
- 員
- 「アノラック? スノトレ?」
- 長
- 「えっ、知らないの?」
- 員
- 「なんですかそれ」
- 長
- 「アノラックって綿入ったナイロンの上下で、スノトレって雪の上でトレーニングできるように綿入ったバッシューみたいのだよ。ちゃんとナイキとかアシックスとかあるんだよ。」
- 員
- 「へー、知りませんでした」
このように隊員たちは雪国生活に対して全くの素人であった。この雪への耐性のなさを考慮すると、さすがに遭難まではしないだろうが、転んで尻を濡らしたり、鼻が止まらず泣きそうになる者が続出する可能性もある。隊長は心の中で、「それもまた一興、キヒヒ。」と笑い、来るべき2月4日に思いを馳せたのだった。 |